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気がつけば・・・
2007 / 02 / 28 ( Wed )
今日で2月も終わり。
樹ママ「お誕生日おめでとう」メールをして、
ハタ、と気づく。

2月最後の日。っていうことは
私たちの結婚記念日なのだった。

厳密に言うと、2月29日に結婚式を挙げたので、
四年に一度しか結婚記念日は来ないんだけれども、
とりあえず去年も一昨年も、
2月28日から3月1日に切り替わる時に
「おめでとう」と言い合いました。

あれ?「おめでとう」でいいのかな。
この一年は本当にいろんなことがあって、
旦那さまもすごく頑張ってくれたので、
今年はやっぱり「ありがとう」だな、と思います。

三年か。
石の上にも三年。
いや、別に石の上じゃなかったけど、三年たちました。
三年で、旦那さまがまるくなった、というのは
自他共に認めるところ。
まるくなりました。身も心も。
の葬儀で久しぶりに会った叔母ちゃまに、
「なんだか雰囲気が変わったよね」と言われ、
「はい。貯蓄してない代わりに貯肉してます」と、ご本人。

ちょにく。随分利率がいいようです。


さて、そんな旦那さまと昨夜交わした会話は、というと。
「私、互助会入ろうかなぁ」
「うん、そうしな。入っときな」
結婚記念日前夜にしては、ロマンチックじゃないなぁ。

でもね。でもね。
今回、の葬儀にあたって、
お葬式って大変だ、としみじみ思ったのです。
結婚式と違って、お葬式って準備期間がない。
本当は、いろいろ考えておかなければいけなかったのですが、
元気な時ならともかく、病気になってから
「どうしたい?」と本人に聞くことはできなかったし、
か私のどちらかが付き添っていなければならなかったので、
二人で顔を合わせてもそんな話をする機会はありませんでした。
心のドコカに引っかかってはいるのだけれど、
否定したい、まだ考えたくない、と
ちょっと気持ちが逃げてしまうところもあって。
だから「いざ」となった時に、何も決まってはいなかったのです。

うちはたまたま、がお付き合いで2口、
母名義と私名義で互助会の会員になっていたので、
とりあえずそこの葬儀場に電話を入れました。
なかなか冷静ではいられない遺族に対して、
葬儀場のスタッフは、てきぱきと順を追って
しなければならないこと、決めなくてはならないことを
示してくれて、こちらの要望に応じて動いてくれます。
わからないことだらけだったし、無宗教の葬儀ということで
どんな送り方があるのか、こんなのはアリなのか、と
悩む私たちに、
「形式がない、ということは、なんでもアリなんですよ。
 こうしたい、と言って頂ければ私たちが動きます。
 ひとつひとつ、決めていきましょう」

と、いろいろ相談にのってくれました。

おまけに、下世話な話ですが、
でもとっても大事なこと。
お葬式って意外にお金がかかるのですね。

無宗教葬儀で、お坊さんも呼ばない、戒名も付けない。
質素ながらもらしく、という「お別れ会」なら
そんなにかからないのでは、と思っていたら大間違い。
細かく分かれた項目ごとに、
例えば病院からの搬送がいくら、霊安室一晩でいくら、
ドライアイスがいくら、お布団がいくら・・・と
全てにお金がかかります。
ちなみにの着せてもらった白い装束は
「旅立ち お供衣セット」だそうです。オトモゴロモ。言いにくい。
会場費、棺、祭壇、霊柩車・・・etc、
一番シンプルに執り行ってもこんなに?と、
ちょっとびっくりしました。
こういうことも、経験しないとほんとにわからない。

でも、互助会に入っていたおかげで、
会員特典やら会員割引などがあって、
2口入っていたうちの1口は
満期分でそのまま引いてもらうこともできて、
結果的にずいぶん助かったのです。
昨日、葬儀場に旦那さまと一緒に支払いに行って、
互助会、入っといてよかったなぁ、というのは
正直な感想。葬儀場のマワシモノじゃないデスヨ。

互助会に入る、入らないは別にしても、
自分にもし何かあった場合のことはちゃんと考えて、
文書に残すなどして意志を表明しておかなくちゃ、と思います。
告知について。延命措置について。それから、お葬式についても。
お葬式なんてしなくていいよ、と口で言うのは簡単だけれど、
故人がそう言ってたからしません、ではすまない場合も
あると思うし、逆に言えば、
葬儀をしない方が、葬儀屋さんに任せられないぶん、
残された人は大変だったりすると思うのです。

そうしてみると、自分の葬儀について考えることって、
旅行の計画をたてるのと、少し似ているのかも。
パックツアーに出掛けるなら、全て旅行会社に任せれば良いけれど、
自分なりの旅をしたい、と考えるなら、
日程をたててチケットを取ったり、宿を予約したりすることから
自分で始めなくちゃいけないから。

体は魂の乗り物、だとすれば、
乗り捨てていっちゃうのはちょっと不作法ですよね。
自分で火葬場まで歩いていくわけにはいかないのだから、
調べられることは調べて、決められることは決めて、
残された人が困らないようにしていくべきじゃないかな、
と私は思います。

もう少し生きたい。まだやり残したことがある。
病気になってから、ずっとそう思い続けていたに、
葬儀のことを考える気持ちの余裕なんて
なかったのだろう、と思います。
亡くなる数日前、
「ちょっとずつだけど、良くなってきてるみたいだからね。
 もうちょっとだけ、辛抱してね」

と言ったのだそうです。
たぶん、それは生きたいという願いから生まれた
妄想だったのでしょう。

だから、そんな
もうお父さん、なんにも決めずに逝っちゃって・・・、
とは思わないけれど、
あれで良かったのかな、お父さん、と
ふと問いかけてみることはあります。
はなかなかの演出家だったので、
俺だったらもっとうまくやったけどなぁ、
お前は感傷的になりすぎるんだよ、とか言われそうです。


「俺の時もさ、お父さんと同じワイン供えてね」
と、旦那さまが言います。
「あれ、結婚させてください、ってお父さんに
 言った時、飲んでたワインだよね。
 あのワインがいいな。もしくは、芋焼酎」

「芋、ね。あんまり絵にならないけどね」
「曲はやっぱりマスターのライブCD、流してね」
「えー。お葬式に吉田拓郎?
♪土産にもらった?サイコロ2つ?、って流すの?」


それってどうなの、と思いつつ、想像してみる私。
のお通夜とお別れ会が行われたホールには、
もうひとつのホールが隣接していて、
ロビーの部分には仕切りがありませんでした。
お通夜の時、「黙祷」と声がかかって静まりかえった会場に、
隣のホールから漏れ聞こえてきたのは
ポク、ポク、ポク・・・という木魚の音。
あらら、と思ったのですが、逆を言えばこちらの音も
隣のホールに聞こえるわけで、
たぶん、マスターがギターを弾きながら歌い始めた時、
隣の弔問客の皆さんはぎょっとしたんじゃないか、と思われます。

「『落陽』なんか流したら、隣にすごく迷惑かもよ・・・」
そう言いながら、じゃ私の時はBay City Rollersかな、
などと思い浮かべ、
♪S・A・TUR・DAY・Night!S・A・TUR・DAY・Night!
の掛け声につられて、木魚でリズムを取っちゃうお坊さんを
想像したら、なんだかおかしくなってしまうのでした。


哀しいこと、を考えるのは
なるべく後回しにしたくなるけれど、
何かの機会に話し合っておいた方がいいんじゃないかな、
と思います。
たとえば、結婚記念日に、とかね。


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ひとりでいると
2007 / 02 / 24 ( Sat )
今日はエディット・ピアフ。
家にいる時は、ずっとシャンソンをかけています。
昨日、イヴ・モンタンをかけていたら、例の

♪パンパンパンパ?ン(運命)

が始まったので、あわてて曲を飛ばしました。
おどけて歌った曲が、しんどい場面のテーマにされて
イブ・モンタンも災難です。


「お別れ会」にまつわるこんな話が。
会場の写真を撮っておきたい、と言う母に
デジカメを手渡されたボブくん。
父に歌を贈ってくれているマスターの写真を撮り、
祭壇の方にカメラを向けると、モニターが消えてまう。
あれれ、調子が悪いのかな、と
受付の方を向けてみると、ちゃんと写るので、
また祭壇に向けると、モニターが再び真っ暗に。
「弟さんのカメラ、調子が悪いみたいで」と母に言ったら、
「あ、これお父さんのカメラなの」と言われ、
もしかしたらお父さん、
写真が苦手だったんじゃないのかなぁ、と
首を傾げていました。
遺影の写真を探すのにも、ちゃんと正面を向いた写真がなくて、
酔っぱらってる写真しかみつからなかったくらいだから、
お父さん、照れてボブくんにいたずらしたのかもしれません。


小川洋子さんの「完璧な病室」という短編のなかに

「誰かが死ぬと、残された人たちはみんな、
 その人にまつわるいろんな後悔を背負って
 生きていかなくちゃいけないんだね」

という言葉があります。

いま、ひとりでいると、
笑顔の父との楽しい思い出と交互に、
息をひきとる前の数日間、
苦しんでいた父のことが甦ります。
柔らかな色あいをした遠い日の思い出にくらべて、
父の苦しみの記憶は
まだくっきりとした輪郭や声や匂いを持っていて、
胸をしめつけてきます。

もっと何かしてあげられなかったのか。
あれは、して良かったことなのか。
私は、さぼったり怠けたりしていたんじゃないのか。
面倒がったり、ずるかったりしてなかったか。

自動販売機に缶コーヒーを買いに行き、
中庭のベンチで煙草を吸ったほんの数分でさえ、
もしかしたら目を覚ました父を寂しがらせたのじゃないかと思う、
これは、まさに後悔です。

からんだ痰を吐き出す力がなくなって、
苦しそうに咳き込むのを見かねて看護婦さんを呼び、
「取ってあげてください」と頼んだ時。
父は何か飲物が貰えるのだと勘違いして、
口に差し込まれた管に吸い付きました。
その一瞬後、苦しさに驚いて看護婦さんの手をはねのけようと
力を振り絞った父の、裏切られた、という表情。
「お父さん、すぐすむんだよ。楽になるんだよ」と
手を押さえた私に、涙目で「くるしい」と訴え、
指でペケ印を作ってみせた父。
その後はショックでしばらく目を虚ろにしてしまって。
あんなに苦しむこと、嫌がることを
お願いしなければ良かったかもしれない。


「車椅子でどこへでも行けるんだよ。
 連れてってください。どこへでも」

うっとりとした目で、おねだりするように行った父に、
「消灯時間で、もう真っ暗だから明るくなったら行こうね」
と私は答えたのだけれど、結局それから車椅子に
乗せてあげることもできなかった。
本当は、真っ暗なデイルームにだって
連れていってあげれば良かったのかもしれない。
たぶん私は、いっぱい管のつながった父を、
1人では車椅子に乗せられなくて、
けれども夜勤で人数の少ない看護婦さんを呼ぶのもためらわれて、
父の願いを後回しにしたのです。

後なんて、なかったのに。
看護婦さんに頼むだけのこともしなかった。


最後の日の朝。
一緒に付き添ってくれた旦那さまを、
家まで送りながら仕事の原稿を取りに戻ろうとして、
「お父さん、ちょっと家に戻ってくるね」
と、声をかけると顔をしかめて、うめき声をあげた父。
「帰るよ、って言うと苦しそうにするのよ。
 わがまま言ってるのよ」
と母は言ったけれど、そんなに寂しい想いをさせるなら
せめて父がうとうとし始めるまで待ってあげれば良かったと思う。


夕方まで付き添って、書き上げた原稿をメールで送るために
また家に戻り、シャワーを浴びて、打合せに行って
病院に戻ったら、父の呼吸は数時間前と比べても
ずいぶん浅くなってしまっていました。
苦しげに寄せられていた眉間のしわもなくなり、
夢みているような表情になっていて、
ああ、もうお父さんには
私がわからないかもしれない、と思った時。
なんで自分のために時間をつかったんだろう、と悔やみました。
シャワーなんて。化粧なんて。
もしゃもしゃの頭で、スッピンで、着の身着のままで
戻ればよかったんじゃないか。


息をひきとる間際の、安らかな父の顔は
すべてを許してくれているようにも見えたけれど、
私はまだしばらく自分を許せないと思います。


ひとりでいると、いろんな想いが押し寄せて、くるしい。


昨日はちゃんとお店に出ました。
お客様と笑って話せたし、哀しい歌を聴いても泣かなかった。
ライターの代役を立てていてくれた
某デザイン事務所からも、心配しながらのお仕事メールがきました。
明日は名古屋でレッスンがあります。
近づく発表会に向けて、子ども達と頑張らなければいけません。

たぶん、忙しくしていた方がいいんです。

きっとそうしているうちに、
後悔の想いが少しずつ薄れて、
柔らかな色あいの思い出だけになる日が、
いつかは来るんだと思っています。


ピアフの声が優しい午後です。


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ポール・ロブスンその2
2007 / 02 / 23 ( Fri )
父とのお別れ会がすみました。
本当に大勢の人たちが父に会いに来てくれて、
たくさんの友達がお別れ会を支えてくれました。

父はきっと嬉しくて、照れくさくて、
そしてきっと、
私たち家族が多くの人の思いやりと優しさに
囲まれていることに、安心してくれたと思います。

母の誕生日を自分の命日に選んだ父との別れには
不思議な巡り合わせがいくつもありました。

まず家族全員が父の最後に立ち会えたということ。
東京で仕事をしている弟は、
明日の24日、イベントの仕事で沖縄へ発つことになっていましたが、
とてもそんな状況ではないということで、
18、19日と父に付き添った後、一度東京へ戻って
仕事の引継をしてくる予定だったし、
下の弟も仕事があるため、ずっと付き添うことはかなわないので
危篤の知らせで急いで病院に駆けつけても
最期を看取ることはできないだろうと覚悟していました。
私も仕事の打合せで、一旦病室を離れていたところに、
弟からのメールで
「家族全員でお母さんの誕生パーティーしよう。
 ワインをこっそり病室に持ち込んだから、
 栓抜き持ってきてください」
と呼び出されて、病院に戻っていったのでした。

私が病室に到着したところで、チリワインの栓を抜き、
「ではな」「ではね」と乾杯して、
父の唇にも少しだけガーゼに染ませたワインを付けると、
父は少し唇をとがらせてちゅっと吸ったようです。
それから全員で記念撮影。
シャンソンに合わせて歌うように口を動かす父の顔を覗き込んで
「お母さーん、って呼んでるみたいだよ」
「あ、今、悠たん、って呼んだ?」
「歌ってるんだよ、きっと」
なんて言い合っている私たちの目の前で、
父はすうっと目を閉じて、最後の息を止めたのです。

その時、かかっていた曲はイヴ・モンタンの
「Le chef d'orchestre est amoureux」。
ちょっとおどけた調子のモンタンが、「運命」のメロディで
♪パンパンパンパ?ン パンパンパンパ?ン
と歌うので、哀しくておかしくて
「よりによって、なんでこの曲なのよぅ」って
みんなで笑いながらボロボロ涙をこぼしました。

同じ時、ナースステーションで心電図を確認して、
病室に来てくれたのは、父のお気に入りの看護婦さん。
Iさん、というその看護婦さんのことを、
最初の手術で入院した時から、
「丁寧で、心遣いの優しいひと」と誉めていました。
5カ月前、夜に救急センターへ行って、
そのまま再入院となった時も、
車椅子で父を病室まで連れて行ってくれたのは
たまたま夜勤だったIさん。
そして、息を引き取った後の、体をきれいにする処置や
病院を出る時の見送りも、Iさんと
信頼して治療をお任せしていたS先生が一緒でした。
そのことを叔母さんに話したら、
「女の人が大好きな兄さんらしいね」と笑っていました。

1人で店を開けていてくれた旦那さまは
父の最後に間に合いませんでしたが、
私の電話ですぐにボブくんとコニーに送ってもらって
病室に着き、父の枕もとで号泣しました。
コニーは何にも言わずに涙をこぼしながら
ぎゅうっと私を抱きしめてくれました。
声をあげて泣く、自分の声をはじめて聞いたような気がします。

病院、というのはちょっとした「からくり館」のようです。
きれいにしてもらった父の遺体を葬儀社の車まで運ぶ時、
大きなエレベーターや、霊安室が次々に壁から現れて、
こんなところにあったんだ、と変なところで感心しました。

葬儀場に着くと、父を霊安室に連れて行き、
もうすぐに通夜と葬儀の打合せをしなくてはなりません。
大げさなお葬式なんてして欲しくない、と
生前から父は言っていて、おまけに我が家は無宗教。
質素だけれど、なるべく父にふさわしい送り方をしたい、と
明け方まで旦那さまを含めた家族で話しあい、
ポール・ロブスンは25日着のメールがあったため間に合わないけれど
父の好きなシャンソンを流しながら、家族や友人のお別れの言葉と、
集まってくださる方々からの献花、
そして、お経の代わりと言ってはなんだけれど、
父とは三十年来の友人であるPick&Pickのマスター(旦那さまパパ)に
ギターを弾いて歌ってもらうことにしました。
マスターが17歳の高校生だった頃から、
父はマスターの歌の大ファンでした。

お通夜には次々と大勢の方がいらして下さいました。
父がよく歌っていた「わかってください」の演奏。
仕事からとんぼ返りで駆けつけてくれたMIYAさんからの別れの言葉。
献花をして、父の顔を見て下さった方々の中には、
顔を真っ赤にして泣いていた方もいて、
きっといっぱいご迷惑もおかけしているのだろうけれど、
いいおつきあいをさせて頂いていたんだな、と
ありがたく思いました。
私の大切な友達や劇団の仲間も駆けつけてくれて、
泣きすぎてどんどんブサイクになっていく私を
頑張れ、頑張れと見つめていてくれる中で、
なんとか別れの手紙を読むことができました。

ホールでの通夜式が終わり、
控え室の方に棺を運び込んでからも、
次から次へといろんな方が訪ねて来てくれて、
父が寂しがらないようにと明け方近くまで
飲んで騒いで、時には歌まで飛び出すほどの賑やかさ。
お線香の代わりに絶やさずシャンソンもかけ続けました。
棺の中の父は、自分もそっちに参加したいよ、と言いたげに
微笑んでいました。

明け方になって、弟や旦那さまたちは
倒れるように眠ったので、
私はCDをかけ直した後、母と交代して一度部屋に戻って
着替えをし、入院中の父との交換日記を取り出しました。
一年半前の手術にあたって、父は万が一を前提に、
大勢の方への感謝の言葉を日記に綴っていたのです。
私の知らない方の名前も多かったけれど、
告別式では父の代わりにそのページを読もうと思いました。
ガラスの小瓶もバッグに入れました。
父のお骨を少しだけ分けてもらおうと思って。

仕度をすませて、家を出ようという時、
玄関のチャイムが鳴ったのでドアを開けると、
宅配便のお兄さんが立っていました。
サインをお願いします、と言われて
荷物を見てみると、それは絶対に間に合わないはずだった
ポール・ロブスンのCDでした。
「・・・25日じゃなかったんですか?」
と訊く私に、きょとんとしていたお兄さんも、
「間に合いました。良かった。ありがとう」
というと、嬉しそうに笑ってくれました。

「ポール・ロブスンが間に合ったよ!」と
葬儀場へ飛んでいき、
献花の時に流してもらうことをお願いして、
間もなく「お別れの会」が始まりました。

マスターの演奏。
父とご縁のあった方々からのお別れの言葉。
ポール・ロブスンを流しての献花。
ちょっと長かったけれど、父の日記を読み上げてしまうと、
ご参列の方々と一緒に棺に花を入れ、
沢山の花に埋もれた父を運び出す時間になりました。
ちょっとウィンクしているような父の目蓋をさすり、
冷たい顎や頬に触れてお別れをしました。

無機質な工場のような火葬場は、
ガラスの向こうにある窯だけが
使い込まれて、古びていました。

他にも数台の霊柩車が停まっていて、
喪服を着た人々が待合室に腰掛けていました。
「今日も、こんなにたくさんの人が哀しいんだね」
と言うと、旦那さまも「そうだね」と頷きました。

もうそろそろですよ、と言われて、
遺骨になった父に会いに行くのは少し勇気がいりました。
ガラスの小瓶をバッグから取り出した時、
ふと、上の弟に「沖縄には、行けるの?」と訊くと、
「夕方の新幹線で東京に戻れば行けるけど・・・」と言うので、
私は小瓶を弟に手渡しました。
「じゃあ、行って。
 この瓶にお父さん入れて、沖縄の海に連れてってあげて」。
弟はガラス瓶を受け取ると、私をぎゅうぎゅうに抱きしめて、
「ありがとう。これで、俺みたいなろくでなしの息子にも、
 父ちゃんに最高の供養ができるよ」
と泣きました。

一年半の闘病でやせ細った父は、
ほんのちょっぴりの骨になって戻ってきました。
お骨を納める時になって、
「お母さんがいないから探してくるわ」と
旦那さまのママが慌てて納骨室を出ていきました。
哀しくてお骨が見られないのかな、と心配していたら、
母は「お父さんが空に還っていくところを見てたの」
と言いながら、やってきました。
こんな時でもマイペースな母です。
白い骨壺と、ガラス瓶に入った父を抱くと
ほんのり温かみが伝わってきました。

熱心な仏教徒である父方の親族、そして母方の親族も、
ちょっと変わった「お別れの会」を
「良かったよ」「兄さんらしいよ」と理解してくれました。
大勢の方に見送って頂き、
旦那さまやその家族、大勢の友達が支えてくれました。
ブログへのコメントや、携帯へのメールで、
今日も沢山の人に励まして頂きました。
あなたは多くの人の思いやりや優しさに包まれてるよ、
大丈夫だよ、とあらためて父が教えてくれたようです。

父の日記にこんな言葉が残されています。

「仕合わせ」といってね、
人と人とが支え合い、頼り合い、思い合ってこそ
「しあわせ」なんだよ。


明日には父が弟に抱かれ、沖縄に向かって旅立ちます。
そこは、とてもきれいな海なのだそうです。
私もいつかその海を訪ねてみたいと思っています。


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ポール・ロブスン
2007 / 02 / 20 ( Tue )
ポール・ロブスンは間に合わなかった。

母の誕生日が終わる30分前。
シャンソンに合わせて首を振るようにしながら
父の繰り返していた浅い呼吸が止まりました。


話せなくなっても、耳は聞こえているから
たくさん話しかけてあげてください、と
言われていたので、
一昨日、父と2人だけになった時に、
耳もとで何度も父に言いました。

大好きだよ。
大好きですよ。
愛してますよ。


父は一緒に飲む時、「ではな」「ではね」と言い合って
乾杯した後、「大好きですよ」、「愛してますよ」と
言うのです。

今でも、どこかのお店を覗けば、
カウンターに父が座っているような気がします。



父をとても愛していました。





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シャンソン
2007 / 02 / 19 ( Mon )
今日はの誕生日。

子どもの頃、初めてお小遣いで買った
へのバースデイ・プレゼントは、
「ふらんす屋」のシュークリーム2つと
黄色のバラが1輪。
今日、の病室で誕生日を迎えた
届けたのは「Chez Shibata」のシュークリーム
プリンに、黄色のバラを2輪。
ほとんど進歩がないではないか。

バラは「ムゥスッカリ春ですね」と言った私を軽く無視した
病院の花屋さんで購入。
店員さんはたった2輪のバラしか買わなかった私に、
「花の長持ち剤」をくれました。
結構いいひとかもシレナイ。


「今日、お母さんはお父さんと同い年になったよ。
 おめでとう、って言ってあげてよ」


去年の誕生日には、私にことづけて、
ひと抱えの黄色いフリージアに贈った
今年は大きく見開いた目を少し潤ませて、
荒い呼吸の下で「・・・はい」と言うのがやっとでした。

病室にはシャンソン
夜中にマスター(旦那さまパパ)、そしてみのりん
一緒に病室へ駆けつけた旦那さま
届けてくれたCDラジカセから、
の好きなイヴ・モンタンやエディット・ピアフ、
イベット・ジローの歌声が、
今日は1日中病室に流れています。

CDをかけ始めた瞬間、
少しだけ興奮したように見えましたが、
それからはシャンソンを流していると、
苦しい息の下でもどこか表情が和らいでいるようです。

仕事を病室に持ち込んだ私は、
なかなか集中できずに原稿用紙の升目を埋めては消し、
書いては破りながら、CDを次々にかけ、
時折の耳もとに話しかけます。

大丈夫だよ。ここにいるからね。
怖くないよ。みんないるからね。
寂しくないよ、お父さん。

そんなこと言って、どうしようもなく
怖がってるのは、寂しがってるのは、誰なんだよぅ。

時折、焦点を結んでは、
しばらくすると曇ってしまうの目を見ていると、
私はどれだけこのひとを知ることができたんだろう、と
思います。
こんなに長く、娘をやってきたのにね。



ポール・ロブスンが、まだ届きません。
ちきしょう。間に合え。ポール・ロブスン
20 : 54 : 45 | ミルクだけ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
マスク
2007 / 02 / 17 ( Sat )
今日の午後、病院へ行くと
は顎のところにマスクを引っかけたまま
眠っていました。

「あれ、マスク?」

に訊いたところによると、
売店へ買い物に行こうとしたら
「帰るの?」と不安そうにしたので
「違うよ、お昼のお弁当を買いに行くの」
と説明すると、安心したのか例のごとく
「そしたら、僕にも少し下さい」
と内緒話のようには頼んでいたようです。
ところが、風邪気味がお弁当と一緒にマスクを買って
病室に戻ると、はなぜかお弁当ではなくマスクに目を奪われ、
「僕にも、マスクひとつ下さい」
と、せがんだのだとか。

「仕方がないから付けてあげたら、
 すぐにヒョイって顎のところに下げちゃうの。
 『マスク、下げちゃだめじゃない』って言ったら、
 今度はヒョイって、おでこのところに上げちゃったのよ」


の話を聞きながら、思わずクスクス笑ってしまう私。
おでこにマスクをのっけたを想像すると
なんだかとてもおかしくて。

顎にマスクを引っかけたまま、こんこんと眠る
頬はげっそりとそげて、薄い胸がかすかに上下しています。
今日は体温が低くて、手も足もすごく冷たいのに、
途中でうっすら目を開けると
胸の上から布団をよけて手を出してしまいました。

「お父さん、手が冷たいからお布団に入れよう」

布団をかけ直そうとの上にかがみ込むと、
ぼんやりと濁っていたの目が一瞬ぱっと私を認めて、
少しだけ笑いかけたのですが、
またすぐに目は曇り、すうっと閉じてしまいました。

今日はと話せそうにないな。
のために探していたポール・ロブスン
「オールマン・リバー」のCDをネットで見つけて
注文したことを伝えようと思ったのに、残念。

の意識があるうちに聴かせてあげたいけれど、
間に合うかな、などと考えると気持ちが沈んできます。
でも、そんな気持ちでいても、の顎のマスクを見ると、
また、それがおでこに乗っかっているところが思い浮かび、
少しクスリと笑ってしまいます。

哀しい時にも、おかしなことはある。
きっとは朦朧としていて、
わけもわからずしたことなのだと思うけれど、
それでもなんだか、が私たちを笑わそうとして
お茶目なことをしてくれたような気がするのです。
21 : 35 : 20 | ミルクだけ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
チチゴロク
2007 / 02 / 16 ( Fri )
「あられ、あられ」

夜中に付き添っていると、
は少し照れたように笑って催促します。
他には誰も聞いていないのに、
内緒話のように、声をひそめて言うのです。

「お願いだから。ひとつください」

なぜか私に敬語で言って、
ちょっと手を合わせて見せたりもします。
口の中ですぐに溶けてしまうような、
小さな雛あられを一粒だけ口に含んで、
カリカリ噛んだ後に吸い飲みでお茶を一口。
そんなほんのちょっぴりでも、
固形物を受けつけなくなってしまったの体は
あられのたった一粒を、数分もしないうちに戻してしまいます。
スウプをすすって、美味しそうに笑って、
「でも、あまり一度にはやめておくね」と用心して
カップを置くのに、しばらくすればスウプでさえ戻してしまう。
それがわかっていても、
「美味しいものが食べたい」は言います。

ここ数日は外の景色を見たがるようになりました。
手を借りて立ち上がり、のそばまでなんとか近づいて、
しばらく黙って外を眺め、またベッドに戻ることの繰り返し。
一昨日は消灯時間が過ぎてから、ふと思いついたように
「ここはね、車椅子に乗ればどこへでも行っていいんだよ」
と言いだしました。
「そうだね。どこへ行きたいの?」
「どこへでも」
「そう。あちこち、行きたいんだ」
「はい。連れてってください」
もう消灯時間で電気が消えてしまったから、
また明るい時に行こうね、と言うと、ちょっとがっかりしたようです。

痛み止めによる妄想と現実が入り混じっているのも
を不安にさせています。
「お父さんねえ、もう自分をどうしていいのか、わからん
朦朧としている時には敬語を使うことが多いのだけれど、
現実に戻っている時には弱音も出るようになりました。
寂しい。
哀しい。
心細い。
そういう気持ちを、もうは隠そうとしません。
が付き添っている時間に、旦那さまとスウプを届けに行ったら、
を迎えに来たのだと勘違いしてしまったようで、
私たちが帰る時間には目を潤ませてしまいました。
「それじゃあね、お父さん。またすぐ会いにくるからね」と言うと、
「それじゃあね」と手を握り返してきたは、慌てたように
「今、無意識に『それじゃあね』って言ったかもしれない」
言い直しました。
「ううん、『それじゃあね』でいいんだよ。また来るからね」と言うと、
心底寂しそうな顔になります。
手を振ってカーテンを閉めると、に訴える声が
カーテン越しに聞こえてきました。
「あのねえ、みんながいなくなると、寂しい」
「ううん、まだいるよ。私はまだ帰らないよ」
明け方にを迎えに行った時に聞くと、その後も
「(帰っちゃうと)これからが長いんだよなあ」
と、何度も繰り返して、いつが帰ってしまうのかと
不安がっていたようです。

もしも自分が治る見込みのない病気に罹って、
寝たきりになったり、ぼけてしまったりして、
家族に迷惑をかけるくらいなら生きていたくはない、
と言うひとはよくいます。
私自身、ずっと苦しみながら
生かされるのはいやだなあ、と思っていました。
でも、それは健康で、病に体を蝕まれていないからこそ、
そう言えるのではないかと、を見ていて思います。
生きたい、と願い、自分という存在が失われることを怖れ、
孤独や不安に震えるを、私は見苦しいとは思わない。
きっと私にも、いつか来る日を、私はの中に見ています。
もっと生きたい。美味しいものを食べたい。
大好きな人とまた会いたい。もっとずっと一緒にいたい。
私もたぶん、生きることに執着しながら、
自分の生を慈しみながら、死に向かっていくのだと思います。

妄想と現実の狭間にいても、の喜怒哀楽ははっきりしています。
すぐに戻してしまうとわかっていても、
美味しいものが口に入れば嬉しいし、
朦朧としてベッドの反対側へ下りようとするのを
危ないからそんなことしちゃだめだよ、と止めると、
「(おかしなことはしていないのに)なんで、そういうこと言うの」
と、不満げに文句を言います。
そして、帰ってしまう時はとても哀しくなるけれど、
会いたい人に会えた時には顔をしわくちゃにして喜ぶのです。
このブログを見たK子ちゃんから、
父が個室に移ったことを聞いたMIYAさんが、
忙しい間を縫って会いに来てくれた日。
は嬉しくて、なんだか興奮していたようです。
「今日、MIYAさんが来てくれたんでしょ?よかったねえ」
と言うと、何度も嬉しそうに「うん、うん」と頷いていました。

隣に腰掛けると、は私の腕を何度もさすって、
「大丈夫?大丈夫?」と聞いてきます。
「大丈夫。私は元気だよ。毎日、会いに来るよ」
「無理をさせちゃいかんけど。でも頼むね。会いに来てね」
時間に蝕まれるように弱っていくは、
だんだん言葉も少なくなってきています。
1日たてば、こんな会話もできなくなるのかもしれない。
そう思うと、会えない時間が惜しいのです。
明日も明後日も、そんなに会いに行きます。
21 : 26 : 45 | ミルクだけ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
Bitter Sweets
2007 / 02 / 14 ( Wed )
バレンタイン、ですね。
キリスト教司祭・聖バレンタインが処刑された日。
「故郷に愛する人がいると士気が下がる」ってことで
兵士が結婚禁止(!)だった当時のローマで、
こっそり兵隊さんを結婚させてあげちゃったから
処刑されたのだそうですよ。

よそのお国では、花やケーキやカードを
男女ともに贈りあう「愛の誓いの日」らしいけど、
日本ではなんと言ってもチョコ。
本命チョコ、義理チョコ、友チョコ(っていうのもあるのね)と
チョコレートの年間消費量の1/4が
バレンタイン用に消費されまくるらしい。
かくいう私も、本日、チョコレート屋さんの売上げに
協力して参りました。
ま、しゃあない。
お菓子メーカーの陰謀で定着したイベントだとしても、
クリスマスだって祝っちゃうんだから、
バレンタインデーだけ無視ってわけにもいかんでしょう。
毒を喰らわば皿まで。(って、オイ)

手作り派購入派に分かれるバレンタイン・チョコ
私はあっさり購入派です。
だってさー、手作りって言ってもさー、
カカオ豆から作るわけじゃないんだしさー、
溶かして固めるだけで手作りなんておかしいじゃん、とか
そういう想いもなきにしもあらず・・・、とはいえ
こんな私でも、乙女な時代には
手作りチョコを贈ったことがございます。
ハートの型を買ってきて、
湯煎で溶かしたチョコを流し込むだけ、でしたが。

しかし、その「溶かして流し込むだけ」
超簡単なはずの作業中に、どうも私は失敗したらしい。
湯煎をしすぎたのか、チョコが滑らかに溶けなくて、
なんだかボソボソしてきてしまったため、
ミルクを足したのがいけなかったようです。
お皿の上に置いた型の中に流し込むことは出来たものの、
今度はなかなか固まらない
冷蔵庫に入れてなんとか固まった、と思ったら
今度はお皿にくっついて取れない
そうだ、少しお皿の底を温めてみたらいいのでは、と
ない知恵を絞ったら、またもやチョコが溶け出してくる。
慌てて再び冷蔵庫に戻し、不格好ながらもハート形はキープ。
に助けを求めて、お皿から取り外してもらおうとしたら、
メリリ、とハートの真ん中から割れそうになってしまい、
乙女な私は半泣き。乙女の母は半ギレ。
とうとう、「もうお皿ごとあげてしまいなさい!」ということに。
チョコを贈らば皿まで。

そして、ハートのチョコを納めるために用意した
可愛いギフトボックスに入れるのを断念し、
お皿(それもなぜか妙にデカイお皿なのだった)ごと
愛想のかけらもない段ボール箱に入れて登校した私は、
再び挫折を味わうのです。

予定では、さりげなく机の中に入れておくはずのチョコレート。
は、箱がでかすぎて、机に入らないではないか。
大体このサイズで「さりげなく」は無理だ。
こうなりゃ当たって砕けろだ。
やむなく手渡し作戦に転じた乙女に呼ばれ、
教室のドアの所へ現れた先輩は、
差し出された箱のサイズにギョッとした顔になりました。
おまけに、冷やかしについてきた先輩のクラスメイトが、
「・・・なんだ、これ。お歳暮?」
うわあん。もうやだ。恥ずかしい。
バタバタと逃げ帰った私には知る由もなかったのですが、
こんなでっかい箱に入ってるんだから、
チョコ分けてくれよ?、
とクラスメイトに群がられ、
仕方なく開けた箱からハートのチョコがたった1個
お皿付きで出てきた時にはみんなが呆気にとられたそうです。


ほろにがバレンタイン後日談。
あのお皿はいったいどうすればいいの、と
先輩から電話がかかってきました。
今さら引っ込みもつかないので、
「・・・オマケです」と答えたら、
「でも・・・あれって、チョコがお皿から取れなかったからだろ?」
と言われてしまい、うひょ?バレバレだよぅ?と赤面する私。
「や、やっぱりお皿から外れませんでした?」
と訊くと、先輩は「ガッチリくっついてたよ?」と笑い、
その後で、
「だから、フォークでちょっとずつ食べた。
 無理矢理外して、ハートを割っちゃいけないと思って」

と言ってくれたのです。
いやーん先輩!ぞっこんLOVE!!
かいた大恥も報われるっちゅうもんです。


ま。
そんな乙女な時代を過ぎ、
しかし大恥の経験だけはしっかりと教訓にした私は、
今やすっかりチョコレート購入派
今夜はにもほんのちょっぴりだけ、
チョコレートを味わってもらおうかな、と思っています。

20 : 00 : 17 | ミルクだけ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鹿スウプ
2007 / 02 / 13 ( Tue )
が個室に移りました。
転室に伴い、泊まりの付き添いも出来ることに
なったわけですが、これがナカナカ大変です。

うちの(もうすぐ71歳)は、
早朝の新聞配達25年くらい続けております。
そんなに沢山配ってるわけじゃないのですが、
は寒いし、の日は危ないし、
ものすごく分厚いお正月の新聞なんかは
自転車には積みきれないくらいになってしまい、
よろめきながら配達するのも危険なので
お店を始める前には私が、現在はが、
新年明けて早々手伝いにかりだされることになる始末。
もう何年も前から「そろそろ辞めたら」と
口を酸っぱくして言ってるのですが、
「健康にもいいし、早朝の街は気持ちいいし、
 おまけにお小遣いにもなるんだから」

と、辞める気のさらさらなさそうな

が、この新聞配達が「泊まり付き添い」においては
ネックになってくるのですね。
午前3時頃には病院を出て新聞店へ行かなければならない
当然そんな時間に病院から戻る交通機関はないわけで、
車の運転もできないのために、迎えが必要になってくる。
もしくは、最終のバスでが戻るのと入れ替えに、
誰かが付き添う、という方法もあります。

?午前3時に店を終えた私が迎えに行く
?午後8時に母と私が付き添い交代

これに、イレギュラーでの登板という
パターンもあります。

?午前1?3時までに弟が母を迎えに行く
?午後8時に母と弟が付き添い交代

しかし、病院の付き添いということに関して言えば、
なかなか男の人には難しい部分も多いので、
やはりはどうしても困った場合のピンチヒッター。

家族の誰かが重い病気にかかって長期入院する、
ということに、
家族の生活は調整を強いられるものなんだなぁ、と
しみじみ実感するこの頃です。
完全看護という体制が整ってはいても、
末期の症状を迎えている人が求めるのは
やはり身近な人がそばにいること。
の抱えている途方もない孤独や、
眠ったらもう二度と目が覚めないのではという恐れは、
そばにいると黙っていても伝わってきます。
何もできないけれど、そばにいて手を握る。
ふっと目を開けた時に、声をかけて微笑む。
それだけのことしか出来ないけれど、
でも、それだけのことが、何より必要なんだとわかるから。

だからこそ、うまく時間の調整が出来なかったり、
スケジュールが詰まっていたりする時には、
こちらの気持ちにも焦りが生まれるし、
疲れと、家族特有の遠慮のなさからくる、
少しトゲのある言葉をからぶつけられたりすると、
それをやんわり受け流す余裕もなくなってしまう。

あまりにも「小さい自分」が情けなくなって、
同時にいらついてしまう私の状態は、
一緒に仕事をし、暮らしている旦那さまにも
不快な想いをさせてしまうんじゃないか、と
気がかりで、申し訳なく思っていた、そんな時。

旦那さま「お父さんに飲ませてあげて」
鹿のスウプを作ってくれました。
たっぷりの野菜鹿肉を煮込んでとったコンソメ。
固形物は食べられない父ですが、
栄養のたっぷり詰まったスウプなら体も温まるし、力もつきます。

保温ポットに詰めてもらったコンソメを病室に持っていき、
デミタスカップに注いで、「飲む?」と訊くと、
は小さなカップを両手で包み込むようにして
温かなスウプを喉に流し込みました。
ああ、は飢えていたんだな、と感じるような飲み方でした。
「美味しいねえ」
と、顔をしわしわにして笑ったは、
「お母さんも、どうぞ」
と、にカップを差し出しました。
それじゃ私も頂こう、ともポットからコンソメを注ぎ、
私にもカップを用意してくれました。

三人でスウプをすすった温かなひととき。
病む人と、その家族に必要なのは、
こういうこと、なのかもしれません。


19 : 21 : 55 | ミルクだけ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
白昼の恐怖体験
2007 / 02 / 12 ( Mon )
昨日は久々のアカペラ練習日でした。
新メンバー・Takeちゃんを迎えての初練習。
怒濤デイズの最中だったこともあり、
ずいぶんアレンジに手間取って
メンバーに迷惑をかけてしまった難儀な曲「永遠に」は、
初練習に挑んだメンバーをやはり手こずらせたのでした。

Takeちゃん加入のいきさつはコチラで。(→「a.m.five」)

久々に練習できたのが嬉しくて、
ホントに久々にメンバー日記を書きました。

が。

私に「白昼の恐怖体験」が訪れたのは、
まさにこの「メンバー日記」を書いていた時。
Takeちゃんの声を見初めた(聴き染めた?)きっかけの曲、
久保田利伸とSunMinの「Keep Holding U」
ヘッドフォンで聴きながら、キーボードに指を走らせていた私の耳に、
曲に混じって聞こえてきたのは・・・男の声
えっ・・・と思わず指を止める私。

♪巡り逢えた?奇跡を?

というサビの部分で、確かに声が聞こえてくる。
男っていうか、ちょっとかすれた男の子の声?
思わず「・・・やだ」と怯えながらも、もう一度サビまで
戻してみる私。

♪巡り逢えた?奇跡を?「・・・おはよう。・・・おはよう」

「いやっ!」
慌てて曲を停止する私。こ、怖い。
そういえば、この曲は映画「日本沈没」の主題歌。
そういう歌だから・・・もしかしたら、
海で溺れちゃった男の子とかの声が
入っちゃったのかもしれない。
そういや昔、何かの曲に「・・・先輩」って声が入ってるって
騒ぎになったことがあったし。やだぁ。やだやだやだ。
でも、こんなにハッキリ聞こえるんなら、
この曲だって相当噂になってるはずだ。
ネットで調べてみなくては。
でも、もし噂にも何にもなってなかったら・・・
これって私だけに聞こえる声ってことに・・・いやぁ?。

パソコンの前で固まっている私の耳に
「おはよう。おはよう」という声が響く。
あれ?・・・もう曲止めたのに?
はっとして振り向くと、ドアの所に立った旦那さま
「おはよう!も?全然気づいてくれないんだもん」
と、目をこすりながらすねていた。

「えっ・・・ゆっ、ずっ、・・・えぇー?」
(えっ、悠たんがずっと言ってたの、
 と言いたかったのです。たぶん)

そのままトイレへ入っていった旦那さまの後を追い、
ドアをどんどん叩きながら怒る私。

「無茶苦茶怖かったんだからね?、もう、もう、
 あぁ、もう、すっごい怖かったんだよぅ?!!」


そりゃ、私だけに聞こえた声だよ。
ネットで調べて、さらに怯えなくて良かったよ。
でも、旦那さまの声だとわかった今でも、
まだちょっと怖い。ショックから立ち直れてないのね。
しばらく「Keep Holding U」は聴きたくありません。


15 : 19 : 40 | お砂糖ひとつとミルク | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
お茶の効用
2007 / 02 / 10 ( Sat )
小雨がぱらついたり、やんだりを繰り返した昨日。
前日の木曜は、お休み返上(毎度ノコト)で
某デザイン事務所からのお仕事にカンヅメ状態だった私は、
疲れをものともせず!・・・いや、ちょっぴり疲労は滲んでたかもだけど、
とりあえずものともせず!新幹線へ飛び乗って名古屋へ。
NHKでラジオドラマの収録があったのです。

出番そのものは、ほんの二言三言のセリフなのだけれど、
同じシーンに出演(声のね)するともちゃんと、
久々に逢えるのが楽しみで、
収録前にお茶しようね、と約束して
イソイソとお出かけ致しました。

今週はなぜか「淑女の集い」(?)の機会が多く、
?20年来の友達と3人でランチ&お茶
?呈茶さんと宝塚&お茶(DVD借りただけですが)
に続いての今回は
?劇団OBともちゃんアニー、大いに語るの巻
なのです。
これまで、憂さ晴らしとかストレス発散とかいうと
「いつもおそばにアルコォル」という場合が多かったのですが、
淑女の集いを顧みて思うのは、
女どうしってお酒飲もうがお茶飲もうが
話は尽きないものなのね。

そして、これは女に限りませんが、
いいオトナ(アダルティ♪)になってくると、
誰かに何かを相談して答えを出してもらうなんてことは
ほとんど期待していないし、期待されてもいない。
みんな自分で乗り越えるしかない、
なんとかするしかない、と重々承知の助(古;)なわけで、
そうなると愚痴にしろ悩みにしろ、
話すこと、聞いてもらうそのこと自体に意味がある。
話しながら自分を整理して、
自分の中のモヤモヤや、底の方の澱が浄化されていく。
そういう場面には、ひょっとすると
アルコォルよりもお茶の方がふさわしいのかもしれません。
あ、「お茶の効用」って別にカテキンが、とか
ハーブによるリラクゼーション効果が、とかそういう意味ではなく、
「お茶の時間」を総称しての「お茶」ですわよ。念のため。
ちなみに私は珈琲派です。

アルコォルアルコォルで楽しいし大好きですが、
気持ちの揺れ幅が大きくなっちゃうので
話の内容によっては「自分を整理」どころか
とっ散らかしてしまう場合も多いし、
飲み過ぎて記憶をなくす可能性もあり、結果的に
「なんの話したんだっけ??」ってことになりがち。
ま、それがアルコォルの良いとこであり、困ったとこでもある。
ちなみに私は憂さ晴らし飲みの場合、
笑う泣く寝るという推移をたどります。
笑う、と、泣くの間に時々はぐはぐキスも入るか。キケンだ。
女の子限定ですがっ!

ま、そんなわけで。
女どうしのお茶の時間は、結構いいものだな、と
思ったりしている今日この頃なのですね。
いやん。もう「茶飲み友達」世代に突入かしらん。

さて。
ラジオドラマの収録は15:00から、となっていたので
1時間じゃ話し足りないかもだから、
13:30に待ち合わせね、とメールで約束したともちゃんと私。
喫茶店で珈琲を飲みながらの近況報告に始まり、
家族のこと、仕事のこと、
この年齢になると避けては通れない健康のこと等々、
お互いに話すうちに1時間半なんていうのは
あっという間に過ぎてしまうのでした。

ともちゃんが開口一番に「お父さんはどう?」って
すごく心配してくれて、
(20年来の友達も呈茶さんも、実はそうなのだった。
父のことに関しては、みんなに心配かけちゃってるなぁ。
ごめんね。だけど、ありがとう)
私の報告を聞くうちに、潤んでしまったともちゃんの目を見て
ああ、そうだ、ともちゃんもすごくお父さんに愛されて
育ったんだったよなぁ、と思い出す。
スピリチュアルな思想に造詣が深いともちゃんが、
「病気だけじゃなく、生きてるってことは
 それだけで大変で辛いことなんだよ。
 人間の一生は、いろんな経験を積むために
 この世の中に修学旅行に来ているようなものなんだって」

と話してくれる。
たしか今読んでる本(「重力ピエロ」伊坂幸太郎)の中にも
『この間、車で通った寺の脇の看板にこう書いてあったよ。
「まさか、楽するために生まれてきたんじゃあるまいな」』

って書いてあったなぁ、ナドト思い浮かべる。
私は宗教はもとより、スピリチュアルな思想にも疎いので、
我流のトンチンカンな解釈をしちゃったかもしれないけど、
なるほど、それも面白い考え方だなぁと興味深く聴きました。

話の尽きないまま時間が来て、スタジオへと向かう私たち。
録りは結構押していて、私たちの出番までは
随分間がありました。
それならもうちょっとお喋りできたのになー(コラコラ)。
音だけでドラマを構成するのですから、
細かなセリフのニュアンスにも演出はこだわるわけですね。
結局、私たちの収録が始まったのは16:30を過ぎてしまい、
次にオーディションを控えていたともちゃんはハラハラ。
収録が終わると慌ただしくお別れ、となってしまいました。
夜は家族で食事、って言ってたけど、
美味しかったかなぁ・・・カニ

さてさて。
今回のドラマは「死滅回遊」
脚本はB級遊撃隊の佃くん。(オナツカシイ)
主役は現役女子大生女優の松田まどかさん(→プロフィール)と、
Take2の深沢さんです。
ま、私の出番はほんのちょっとですが、
ラジオドラマに興味のある方は聴いてみてくださいませ。
放送予定日は3月17日 22:00から。(NHK FMシアター)
この日は旦那さまのお誕生日だったりするのだな。
20 : 47 : 23 | お砂糖ひとつとミルク | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
いちご
2007 / 02 / 08 ( Thu )
「甘い」よりも「甘酸っぱい」の好きな私。
よりいちご
葡萄よりさくらんぼ
バナナよりも蜜柑
甘いだけじゃ物足らないの。
ちょっと酸っぱい方がいい。
そう。それって、と同じね!(何を言うておる)

そんな私のもとへ、天狗連呈茶さん
訪ねてきてくれました。
いちごと、宝塚のDVDをお供に。

呈茶さん宝塚ファン。
ファンというか宝塚命。
言ってみれば宝塚過激。(ウマイ)
他のお芝居や歌舞伎などの観劇も大好きな彼女ですが、
やはり呈茶さんといえば、何をおいても宝塚です。
(そんな呈茶さんのブログはこちら → 「雑記帳」)

テレビでチラリと観たことはあるけれど、
生の宝塚を観たことのない私。
「おぉ、宝塚だ」ナドト言いつつ、DVDのパッケージを手にとって
思わず声をあげました。

「かぁっこいい?♪」

キリリと鼻筋の通った、見目麗しいお姿。
色っぽい目が素敵
思わず旦那さまにも、「見て見て」と見せると、
「おお?、いいオトコだなぁ」
ホントは女子なんですけれども、いやぁ、かっこいい。
ホストクラブにこんな人がいたら絶対指名しますね。
私はホストクラブには行かないけれども。
ホストへ行くくらいなら、バトラーズ・カフェに行ってみたいです。
だって、執事よ。
ヒツジなら頑張れば一匹くらい飼えるかもしれないけど、
執事のいる生活なんてたぶん、いや絶対に一生縁がない。
いや、ヒツジとかヤギは黒目が糸みたいになってるのが怖いし、
家中のティッシュを食われそうなので、
こっちも一生飼わないけど。

ヒツジは草(もしくは紙?)しか食べないけど、
執事はお金(これもまぁ紙)を食べる。
ヒツジの毛は刈れば売れるけど、
執事の毛は刈るのにお金がかかる。
ヒツジの乳は飲める(たぶん)けど、
執事の乳は飲めない(絶対)。
しかし!
ヒツジは「めえ」としか言わないけど、
執事は「お嬢様」と呼んでくれる。

お嬢様。なんて素敵な響き。
お嬢様ナドト呼ばれるシチュエーションもないままに、
お嬢様と呼んでもらえない年になってしまった。
天狗連じゃ、良くてご婦人、悪くておばさん(ヒドイ)。
お店ではアニーママだけど、
私よりだいぶ年上のおじさんに「おい、おっかぁ」
呼ばれたこともある。・・・お、おっかぁ
女の人をおばさん扱いする人は大体おじさんなんですよぅだ。


そんなことはともかく。


執事だ。違う、宝塚だ。
私がホレボレと見とれたお方は朝海ひかるさんでした。
(こんなお方 → 『堕天使の涙 Lucifer』)
残念なことにパッケージの裏を見たら、
「朝海ひかる、舞風りら退団公演」と銘打ってありました。
そうかぁ、もうやめちゃったのか。
そういえば、呈茶さんブログで読んだ気がする。
呈茶さん曰く「ダンスがすっごく上手くて素敵」らしい。
写真でもホレボレしちゃうくらいだから、
生で見ちゃったら私もハマっちゃったかもねぇ。

忙しい呈茶さんは、珈琲一杯飲み終わったところで
「帰れコール」が掛かり、帰ってしまわれましたが、
『堕天使の涙 Lucifer』と、
『ファントム』(こちらは春野寿美礼・桜乃彩音主演)の
2作を貸りちゃったので、
楽しみに観てみたいと思います。
ハマっちゃったらどうしよう。うふふふふ。
舞台の上の夢に憧れる、いちごのように甘酸っぱい乙女心。
お嬢様にはそんな恋こそふさわしくってよ!(何を言うておる)


でも、昨日の午後で「小休止」が終わり、
明日はいきなり朝イチ〆切午後はNHK入りという
タイトなスケジュールの中で、
なかなかゆっくり時間も取れないので、
店が終わった今朝未明、さわりの部分だけ観てみました。

DVDに付いているプログラムを見てみると、
まさに「男装の麗人」という方が多いなか、
水夏希さん演じる振り付け師ジャン・ポールの義父役、
萬あきらさんという方は、
顎の張り具合といい、雰囲気といい、
メイクの力もあるのでしょうが
「これは絶対オトコだぜ?」旦那さまも唸る男っぷり。

DVDを流しつつ、夜食のビーフシチューを口に運んでいると、
旦那さま「男だ!」とまた叫びました。
「だから、みんな女なんだって?」
笑いながら画面を見ると、
指揮者の男性が挨拶をしているところ。
そうか。宝塚とはいえ、指揮者は男の人なんだね、と
妙なところに感心したのでありました。
13 : 12 : 28 | お砂糖ひとつとミルク | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
ムスカリ
2007 / 02 / 06 ( Tue )
病院花屋さんがある、というのは、
いいなぁ、といつも思うのです。

やはり病院っていうのは、
患者さんも、患者さんに付き添う人も、
そして患者さんを見舞う人も、
ウキウキ楽しい気分でいられる場所ではない。
赤ちゃんが誕生する産婦人科病棟は別としてね。

そういう場所に花屋さんがあって、
季節の花が素敵にアレンジされている。
クリスマスが近づけば、ツリーやリースを、
お正月用には注連飾りやミニ門松なんかも売られたりして、
無機質な病院にも、そこだけ季節感が漂います。

まあ、花屋さんにしてみれば、
各病棟へ向かうエレベーターの横というのは
コンスタントな売上げの期待できる好立地、であるわけだし、
手ぶらで来ちゃったけどどうしようかなぁ、と
思っているお見舞い客の心をくすぐりそうな
アレンジメントや、フルーツの籠盛り
お花を持ち込んではいけない病棟のためには
プリザーブドフラワーや“光触媒加工”のシルクフラワーなども
抜かりなく取り揃えているわけで、
このテナントは入札で決まったんだろうな、ナドト
余計な考えが頭をよぎったりもするのですが、
花屋さんの思惑はともかくとして、
その場所を通りかかると、少し心が癒されるのです。

その店頭にムスカリがお目見えしました。
きれいな青紫が目を惹く、小さな鉢植え。
(どんな花かご存じない方は → 「ムスカリ」)
ヒアシンス科の球根植物で、
花が葡萄の房のような形をしているため、
グレープ・ヒアシンスという呼び名もあるそうです。
ムスカリの花の色が好きな私は、
思わず足を止めました。

「わぁ、ムスカリだ」

私の独り言に反応した店員さんが
にこにこ笑いかけながら、

「入荷したばかりなんですよ」

と近づいてきます。
鉢植えをひとつ、手に取る私。
そこで・・・つい、ムラッときて・・・余計なひと言を。


ムスカリが咲くなんて、ムゥスッカリ春ですね」。


店員さんに笑顔で無視されました。

なぜ、我慢できないんだ。
なぜ、思ったことをつい口に出してしまうんだ。
きっと頭が疲れてるのね。
いや、きっと「天句連」の句会のために
地口洒落をひねり出そうとする癖がついてるんだわ。

でも、店員さんに「地口」とか言ってもたぶんわからない。
きっと心の中で「・・・親父ギャグだよ」
舌打ちしているに違いない。

昼間に来た時はほぼ毎回、花屋さんを覗きながら通り、
時々は買い求めたりもする私の顔を、
店員さんは覚えているに相違なく、
たぶん重い病気の家族がいるのだろうに
クダラン親父ギャグなんかかまして、
なんて脳天気な人なんだろう・・・と、
呆れられた(予測)私は、
手にしたムスカリの鉢をそのまま買って帰ったのでした。


ちなみに。
後から調べたところによると、
ムスカリの花言葉は「失意」
だそうです。

そんな花、病院で売ってんじゃないわよぅ!!(逆ギレ

18 : 29 : 30 | ミルクだけ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
小休止
2007 / 02 / 05 ( Mon )
怒濤デイズ、一段落。
頑張ったのだ。
よく頑張ったぞ、私。

一段落、とはいえ、
「でんきの科学館」イベント台本は
まだ構成案を提出した段階なので、
実際の台本に取りかかるのはこれから。
某デザイン事務所のお仕事も、1つは終わったけれど、
もう1つ提出した企画が通ったので、
デザインのラフが上がり次第、コピーライティングが始まる。
(きっとまた「急ぎです!」と言われるに違いない)

a.m.fiveの曲アレンジは、ゴスペラーズとの死闘をくぐり抜け
なんとか1曲が完成。
本当は昨日、初練習のはずだったのに、
メンバーを待たせた挙げ句、楽譜とCDが完成したのは
夜の10時でした。
待ちぼうけさせちゃったメンバーの皆さま、ごめんなさい
私が最後の死闘に挑んでいた頃、
カウンターに入ってお店を手伝ってくれたBOBくん、ありがとう。

振り返れば、
今までにない、ちょっとかっこいいアレンジが思い浮かび、
「天才?私、天才?」と有頂天になりかけたけれど、
途中で音が全く取れなくなり
「やっぱ馬鹿だ。私、馬鹿なんだ」とPCの前で落ち込み
地団駄を踏み、半ベソかいたりもした浮き沈みの激しい作業であった。
追い込まれた私の扱いに慣れている旦那さまは、
「アニーは馬鹿じゃないよ。ゴスペラーズが馬鹿なんだよ」
と言ってくれた。
無茶苦茶だけど、ありがとう旦那さま
そして、ごめんよゴスペラーズ
ゴスペラーズはスゴイんです。
生半可な音楽の知識じゃ太刀打ちできない。
完成したのが奇跡のようです。
でも、アレンジ曲目はあと5つもあるのだ。うふふふふ(狂)。
もう、ゴスペラーズはイヤ。

「声が出まへん」という旦那さまのご希望により、
1音下げてアレンジした結果、
フラット(b)が5つも付きました。
黒鍵だらけ。おまけに転調付き。
メンバーの七転八倒が目に浮かびます。
うふふふふ。頑張りましょう。

幼稚部の発表会は3月末だけど、
そろそろセットも作り始めなくてはいけないし、
まだまだすることは山積みなのですが、
とりあえず小休止。
嵐の前の静けさ、っていうやつです。

疲れている時に、お砂糖の甘さが嬉しいように、
こういう時はちょっとした優しさに心が潤みます。
優しくされると、自分の心も優しくなる。
優しさには相乗効果がある、と常々私は思うのですが。
「許せん!」とか「超ムカつく!」とか思う相手に
優しくするのはなかなか難しいけれど、
許すことは負けじゃないし、
怒ったりいらついたりを続けるのは
本当に心が疲れてしまう。
わかってはいても、まだまだ人間ができてないので、
なかなか、なのですが。

先日、名古屋へ行った帰りに、
ちょこちょことお買い物をして回った時、
本屋さんで買った文庫本の小さな袋を提げていたら、
旦那さまの靴下を買いに入ったユニクロのお姉さんが、
「袋、一緒にしましょうか」
と少し大きめの袋に入れてくれました。
心遣いをありがとう、と嬉しく思いつつ、
次のお店へ行き、Tシャツを購入。するとまた、
「袋、一緒にしましょうね」
と店員さんの心遣い。
電車に乗って戻り、駅でお野菜を買う時には
水につけてあったセロリの根元を
ビニール袋に入れようとする私に、威勢の良いオジサマ
「わしが入れてあげる」と手伝ってくれました。
最後に立ち寄ったパン屋さんでバゲットを購入すると、
ちょっと見には無愛想だった店員さんが、
「荷物いっぱいですね。大きい袋にしましょう」
と、全部の荷物をまとめてくれました。
みんな優しいな。嬉しいな。

そう思いつつ家に帰り、買った物を整理すると、
文庫本にたどり着くまでに紙袋ビニール袋ができました。
優しさの相乗効果、っていうか過剰包装、だったりして。


12 : 20 : 37 | お砂糖ひとつ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明日もいいことがあるように
2007 / 02 / 01 ( Thu )
巡り来た怒濤デイズのさなか。
昨日はナレーションのお仕事で名古屋へ行って来ました。

収録スタジオは、地下鉄桜通り線丸の内駅の近く。
いつも思うんだけど、
桜通り線はとても地中深く潜っている。
古くからある地下鉄の、さらにその下を走っているわけで
エスカレーターでどんどん下がっていくと
なんだか心細いような気持ちになります。

13時からの収録までには、40分くらい余裕を持って
長者町のオフィス街へ到着した私は、
ランチタイムでごった返すカフェの窓を覗きつつスタジオへ。
収録の間にお腹が鳴ってしまわないように、
何かちょっと食べておきたい、というわけです。
この“何かちょっと”というのが結構難しい。
私の胃腸は食べた直後から消化活動を始めるので、
しっかりランチなんぞ食べてしまった日には
空腹な時よりもキュルキュル、コロコロとお腹が騒ぎ出す。
何か軽く、ほんのちょっぴり口にしておく、というのが
理想なんだけれど、スタジオ付近のお店はみんな
安くてボリュームたっぷりのランチをご用意してます、って感じで
そんなお店で珈琲と何か軽いものだけ頼むのも迷惑だよなぁ、
ナドト考えているうちにスタジオの前まで来てしまった。

まだ30分近く時間があるけれど、
注文して、料理を待って、食べられるほどの余裕はないか、と
すぐ近くの古式ゆかしい珈琲専門店に入ることにする。
うまくいけば、珈琲クッキーとかチョコレートとか
付いてくるんじゃないかしらと、やや期待して。

古式ゆかしい珈琲専門店は、
もうランチをすませたらしいスーツ姿の人々でいっぱい。
これまた古式ゆかしく白服に白いエプロンをしめた初老のマスターが
トレイにのせた珈琲を1階席へ2階席へと運んでいる。
忙しそうだなぁ。
メニューください、とか言いにくい雰囲気のなか、
やってきたマスターに「マンデリンを」と注文する私。
すると、白髪のマスター曰く、
「いや?ストレートは勘弁してください。
 1人でやってるもんですから?」


へぇ?
珈琲専門店を謳ってるのに、ストレートは勘弁
ここには、ランチタイムはブレンドのみっていう
暗黙の了解があるんだろうか、と内心びっくりしつつ、
「じゃ、ブレンドで」と言うしかない私。
読みかけの蓮見圭一「ラジオ・エチオピア」を開いて、
特に珈琲専門店で飲む必要もなさそうなブレンド
クッキーチョコも付いてなかった。そこは珈琲専門ってわけ)
をすすり、混み合う店内にあまり長居をしても、と
早々に腰を上げてスタジオへ向かう。

男の人2人の掛け合いで、最後に私が〆のナレーションのを2本、
男女の掛け合いで、また最後に私が〆を言うのが1本の、
20秒ラジオCM収録。
ナレーションの仕事は、大体1時間以内に終わってしまうものが
多いので、私みたいに余所の街から来る人には
スタジオまでの往復時間の方がよほど長かったりする。
スタジオを出て、駅へ向かう途中のカフェに寄り、
珈琲とサンドイッチで遅めのブランチをしつつ
「ラジオ・エチオピア」読了。
最後に主人公が言う「畜生」が良かった。

名古屋駅で旦那さまの靴下などを買い、
電車に乗って伊藤たかみ「指輪をはめたい」を読み始め、
駅に着いてから食料品店で美味しそうなセロリほうれんそうを買い、
路面電車に揺られて帰宅する。
時刻はもう夕方。
1時間弱のナレーション収録で、なんだか1日潰れているのが
怒濤デイズのさなかだけにもったいないと思う。

朝干して出かけたお洗濯物を取り込んでたたみ、
今夜店が終わってからの夕食を軽く準備して、
車に乗り込み、の病院へと向かう。

今朝、旦那さまに駅まで送ってもらう車の中、
から掛かった電話で、
夜7時にお医者さんから家族に話があるので
来るようにと言われていた。
なんの話だろう。
いい話であるわけはない、と予測は付くので気持ちが塞ぐ。
体力の衰えは、もうすでに隠しようもないだけれど、
ここ数日でめっきり気力が萎えてしまい、
付き添っていてもあまり多くは語らない。
眉根を寄せて眠る顔は辛そうで、
不意に目覚めると不安な子どものような目をする。
仕事の前にテンションを下げるわけにはいかないので、
サバサバと、颯爽と、オフィス街を歩いてみた私だけれど、
ちょっと気を抜くとため息と一緒に
「困るなぁ」という独り言がこぼれてしまう。

困る、なんて言い方はヘンだ、
旦那さまはちょっと不快そうに言うけれど、
私にとって、がこの世からいなくなる、ということは
寂しいよりも、哀しいよりも、「困る」という感じなのだ。
どうしようもなく、困る。
なにか、どうしようもなく、途方に暮れるかんじ。
一年と3ヶ月前、の病名と病状をお医者さんから聞いた時も
やはり「そんなの困ります」と言いかけた。
困る、と言われたら先生だって困るだろう。
分配に困るような遺産もない。
後継者が必要なわけでもない。
困るっていうのと違うでしょう、と言われれば
確かにそうかもしれないのだけれど、
でも私はどうしようもなく困る。
がいなくなるのは、困る。こまるこまるこまる。

覚悟して、自分に言い聞かせてきたはずなのに
なんちゅう弱っちいのだ、情けない。
自分を叱りつつ、病院の廊下を歩いていくと、
ちょうど下りてきたエレベーターに乗り込もうとしている
に気がついて声を掛ける。
外回りの仕事をしているは、
なんとか会社へ戻る前に時間を作って駆けつけたのだという。
いきなり3人で病室に揃うのは、
逆にを不安にさせてしまうかもしれないので、
デイルームで待っていてもらったと合流し、
ナースステーションで担当のお医者さんを呼び出してもらう。

大きい病院で、だけの担当であるわけもない先生は多忙で、
約束の時間から30分を過ぎても現れない。
まだかな、と待っているうちに、
「あっ、お父さん、出て来ちゃった」
と慌てて立ち上がった。
なかなか病室に戻らないを探して、
点滴の器具を杖代わりに転がしながら
がとぼとぼと、小刻みな歩幅で廊下を進んでくる。
「お父さん、どうしたの。部屋に戻ろう」
が私たちを隠すようにしながらの元へ走った。

「俺はちょうど柱の陰になってたから、見えなかったと思うけど・・・」
「お父さん、近くじゃないと誰かわからないくらい目が悪いから
 たぶん隣にいたのが私だってわかってないと思う・・・」

小声でと話していると、
「お待たせしてすみません」
と、先生がやってきた。看護婦さん
「奥さん、お呼びしてきます。ご本人は?」と訊く。
告知を前提とした病院の方針と本人の希望で
今まで先生からのお話がある時にはも一緒だった。
「いや、今回は・・・内緒に、っていうわけでもないんだけど」
先生の言葉で、もう精神的なダメージに
の体は耐えられないのだろうな、とわかる。

看護婦さんに呼ばれたが戻ってきて、
先生の話が始まった。
「今日、明日にどうこう、ということはたぶんないんですが」
という前置きに続く話は、
いきなり何か大きなことがの体に起きているというような
話ではなかった。
ただ、先生の診たて通り、ことは進んでいるということ。
「気力が萎えてくるのは、言ってみれば当然なんです。
 強い方ですが、ここまできて前向きでいられる方がおかしい。
 ご本人も覚悟をされている、ということだと思います」

そうだろうか、と思う。
は覚悟ができなくて、というより覚悟することを拒否していて、
だから不安なんじゃないだろうか。
いつでも家族が泊まり込めるように個室の準備をお願いした後、
「会わせたい人がいたら・・・」
という決まり文句で、先生の話は終わった。

の病室へ行くのも、3人でちょっとずつ時間をずらした。
まずが戻り、私は数分後に病室へ行き、
最後にが一度車に戻って荷物を持って来る、という
全然完璧とはいえない計画をたてている自分たちが
なんだか滑稽で、哀しい。

私が顔を出した時は、なんだか責めるような口調で
「なにぃ・・・なにしてるの」
と呟くように言ったも、が顔を出すと
ずっと手を握ったまま目を閉じて、
しばらく何も言わなかった。
久しぶりにと会えたことが嬉しいのだ。
「仕事終わるのが遅くて、なかなか来れなくてごめんね」
が言うと、
「いいんだよ。たまぁにでいいんだよ。元気な顔、見せてね」
「たまぁにでいいから、来てね」

と何度も頼んだ。
会社へ戻らなければいけないが先に病室を後にし、
消灯時間も近づいてから、と私も帰ることにした。

「じゃ、お母さんを家まで送って、店に行くね」
「うん、うん。お母さん、送ってあげて」
「じゃあね、お父さん。また明日ね」
母が手を振ると、「明日ね」と父も言った。
「明日も、今日みたいにいいことがあるといいね。
今日みたいに、いいことがあるように」


私たちが集まった理由とは裏腹だけれど、
にとって今日は、とてもいい日、だったんだ。
「いいことがあった」に喜んでもらえるように、
もっととの時間を作りたい、と思った。


19 : 21 : 10 | ミルクだけ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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