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Error!!
2007 / 04 / 30 ( Mon )
【エラー】error

 (1)やり損なうこと。失策。

 (2)計算あるいは測定された値と、理論的に正しい値とのずれ。誤差。

 (3)野球で、野手の捕球や送球の失敗により、アウトにできるはずの走者
  を生かすこと。また、そのような失策。
  「タイムリー-―」 三省堂「大辞林 第二版」


心の友・新明解国語辞典では、

【エラー】?する[error=誤り]

 失敗。過失。
 [(野球で)来年は?を5以内にしたい(=留めたい)]。


野球でエラーが5以内、っていうのがどれくらいのモンなのかは
よくわかりませんが、とにかく「エラー」っていうのは、
しくじったり、やり損なったり、間違えたりってことですよね。

PCを扱っていても、なんでこの機械にこんなことができるのかが
さっぱり理解できていない私は全般的な機械音痴
PCでも携帯でも家電製品でも、適当にいじりながら理解する、と
いうようなマネが出来ないので、とりあえず説明書はちゃんと読む。
最近は家電製品もどんどん機能性が高まっているので、
使う側にも理解力というか「機械力」が求められます。

この機械がどんな機能を持っていて、どう扱うのがベストなのか、
より機能を発揮させることが出来るのかをきちんと知る。
機械と人間の快適な共存、友好関係の成立を目指して、
私の方は相手を理解しようと一生懸命努めているのですが、
機械の方はというと、どうもそういう努力がみられない。

たぶん機械を作った人たちは、使う人に便利なようにと考え、
努力して、様々な機能をくっつけてるんですが、
その努力や想いが往々にして空回りすることが多いのでしょう。
まあ、なんて便利!なんて快適!と喜ぶことよりも、
その機能に対して腹を立てることの方が格段に多い。
融通が利かない。小さいことに目くじらを立てる。
おまけにから物を言う。
機械って、なんて頑固なのでしょう。

今日はとても良いお天気だったので、ソファカバーやシーツなど
大物のお洗濯をしました。
なぜか「白い恋人」という名前が付いているうちの全自動洗濯機は、
結構容量も大きいのですが、効率の良いお洗濯には八分目くらいが
ベストだということも、ちゃんと説明書で確認している私。
頑張れる子だからといって、あまり無理はさせちゃいけないよね。
洗濯槽内乾燥機能、というのも付いていますが、
こまめに洗浄剤を使ってのお手入れも欠かさず、
大事に使ってあげています。

ところが。容量の八分目どころか六分目くらいに留める、という
思いやりをもったお洗濯の発注に対して、
「白い恋人」が反旗を翻したのです。
洗濯→すすぎ、と進んで今や脱水に入ろうという時、
ゴトゴト、と二度ほど揺れた洗濯機は「ピピピ」と音をたてて脱水中止。
なんでやねん、とパネル表示を見ると「E4」と出ています。
エラーの?番。何度かこの表示を目にしている私は、
説明書を見るまでもなく「E4」=脱水停止、
対処法は「洗濯物の偏りをなおすこと」だとわかりました。

蓋を開け、水を吸って重たいシーツやカバーを持ち上げて
槽内に座りよく入れ直す。よし、脱水再開。
しかしゴトゴト、と揺れた洗濯機はまたもや「ピピピ」と音をたて、
パネルに「E4」を表示する。これを繰り返すこと10分近く。
大物洗いをする時に限って、必ずこれが起こるのです。
洗濯物が偏ってはいないのに、重い物を脱水しようとするとコレ。
蓋を開けては入れ直し、なんとか機嫌を取ろうとするのですが、
全然言うことをききません。

「違うんだって?。偏ってないんだって?」
「重いったって、容量よりうんと少ないんだから頑張れよ?」

なだめたり励ましたりしつつ、何度も入れ直す私。
しかし、無情にも「E4」表示を繰り返す洗濯機。

エラー、ってなによ!私が間違えてるみたいじゃないさ。
 勘違いしてんのはあんたでしょうが!!」


怒っても無駄、とわかっていても腹が立つ。
結局、この融通のきかない機械に負けた私が、
びしょびしょのシーツを槽内から半分バケツに移して軽くすると、
「そうそう。それでいいのよ」
と言いたげに、洗濯機は脱水を始めたのでした。

家電メーカーに問いたい。
「エラー」って使う側のしくじりを指すの?
それとも機械が「やり損なった」ってことなの?
責任の所在をはっきりさせようぜ!
機械側の落ち度(?)でコトがうまく運ばない時は、
「Sorry」とかにすれば、こっちの気もおさまって
「そうかそうか、ちょっと無理させちゃったね」という気にも
なろうというもの。
「エラー!」っていう表示は、気持ちを逆なでするわよ、ほんとに。
まあ、うまく使いこなせないこと自体、こっちの責任だと
言われちゃえばそうなんだけどさ・・・・。

重いシーツやカバーとの、10分間の格闘で疲れきった私。
ちょうど新明解国語辞典の「エラー」の項の横は
「えらい」だったので、新解さんに頑張りをほめてもらおうと目を通す。

【えらい=偉い】(形)
 
 人物・行動などが他にすぐれていて、立派だ。
 例:「ずばり言ってのけた君は偉いよ」
 =解釈[A]勇気があって尊敬に値するよ。
  解釈[B]元気があって羨ましいよ。
       自分なんかにはとても真似ができないね。

洗濯機に対して「ズバリ言ってのけ」ても、あまりえらくはないわね。
自分なんかにはとても真似ができない、か。
新解さんにこう言われると、皮肉られてる気がするなぁ。
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17 : 01 : 36 | ブラック | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
夏草や
2007 / 04 / 27 ( Fri )
「うこっけい農場」の片づけがだいぶ進んできました。

この農場は、経営していた保育園を閉園した数年後、
が山の方の土地を借りて作ったもの。
烏骨鶏を平飼い(鶏舎の中を自由に動ける飼育)するための
鶏小屋を建てて、純系の烏骨鶏を数十羽に増やし、
井戸を掘り、土地を耕して見よう見まねで作物を作りながら、
少しずつかたちを整えてきた農場です。

農場を作り始めた時、はもう60代も後半。
「老後の愉しみ」にしては、ずいぶん体もしんどかったろうし、
鶏小屋を建てたり、井戸を掘ったりするためにお金も注ぎ込んだし、
でも、その割りには通うのに1時間もかかる場所だったため、
地元の農家の方々には

「こんなに陽が高くなってから作業するなんて無茶だ。
 あんたのは道楽農業だなぁ」


ナドト呆れられている、と頭を掻きながらも、
はこの農場に夢を描いていたのだと思います。
山の農場には猿や鹿や、猪まで出ることがあり、
作物はどんどん食べられてしまうのですが、

「取れたてだよ。本当に美味しいよ」

と、店まで持ってきてくれた枝豆は歯応えも良く、
しっかりとした豆の味と香りがしました。
旦那さまがその枝豆かき揚げにしたのを
ありがとう、美味しいね、と頬ばったの笑顔を思い出します。

「野菜が順調に採れるようになったらお得意さんになってね。
 体に良いものを出すお店、っていいだろう?」


そんな夢を語っていたが、病に倒れるのだから皮肉ですが、
まだまだかたちを整えている段階だった農場を継ぐ人もいなくて、
私たち家族は、の“夢の途中”を整理し、片づけなくては
ならなくなりました。


・・・・いや、それがまた大変な作業で。


の入院中、知り合いの方々や、うちの旦那さまや、
誰も無理だという時はシルバー人材センターに頼んだりして
世話をしてきた烏骨鶏たちは、引き取ってくれる方がいたのですが、
鶏舎や農具小屋を取り壊して農場を更地に戻し、
事務所に使っていたコンテナハウスも運び出さなくてはなりません。
地面の下にはイタチ除けのネットまで、ご丁寧に埋まっています。
さらに、発酵飼料を作るための容器(30個近くあった)やコンテナ、
様々な農具に古畳、事務所には中身が入ったままの本棚やPCデスク、
冷蔵庫は古くてデカいのが三台・・・などなど、等々、ナドナド、
何に使うのか意味不明の物も含め、やたらに色んな物があり、
それらは分別して、ごみ処理場へ運ぶことになります。

夢の残骸も、そこに意味を持つ人がいなくなれば、ただのごみ

東京で仕事をしているは無理なので、下のや、
私と旦那さまが手伝いに赴くのですが、いかんせん仕事があり、
どうしても片づけ仕事の中心はになります。
71歳無職 保母資格・原付免許アリ 趣味:バスツアー
朝の新聞配達は勤続30年という、真面目で融通がきかない、
ロマンティックな乙女心と超現実的な一面をあわせ持ち、
冗談を真に受けて真剣に怒る、そんな彼女が亡夫のために孤軍奮闘

農場に通ってはごみと戦う毎日では、自然に愚痴も多くなります。
おまけに農場のためにがした借金の請求書が届いたりすれば、
そりゃもう、の嘆きは留まるところを知りません。

「なんでこんな借金するのかしら!
 普通、病気になったら後のこと考えるわよねぇ」


うん、でもは農場に復帰するつもりだったのよ、マミー

「毎日毎日1人で片づけて、もう疲れちゃった。
 なんでお父さんは私にこんな苦労ばっかりかけるのかしらねぇ」


きっといつかは楽させたいと思ってたんだろうけどね。
まあ、60過ぎて農場始めるような人だから仕方ないわね、母上

「考えてみれば、私はお父さんとは他人なのよ。
 血の繋がってるあなた達が何とかするべきじゃないの?
 なんで私が、私だけがずっと頑張らなきゃいけないの!」


ちょ、ちょっと待ったぁ!そりゃないぜ、おっかさん

確かにと私たちは血が繋がってるけど、
それはあなたが父と出会わなければ、なかったことで。
もっと言えば、あなたは結婚相手を選べたけれど、
私たちは両親を選んで生まれてきたんじゃないわけで。

・・・ああ、なんでこんな反抗期の中学生と親の喧嘩みたいな会話を
このトシになってしなけりゃならないのか。ナサケナイ

仕事が入ってない時なら、私ももちろん手伝いに行くし、
〆切が迫っていなければ、まあまあ、とをなだめる余裕がある。
だがしかし!
〆切当日、催促の電話が今にもかかってこようという時には
ガゼン怒りモードに突入してしまう。

ガガガと怒って電話を切る。
すると、その翌日か翌々日には、から電話がはいるのが常。

「なんかお母さん、気にしてたよ?。
 Annieと言い争いになっちゃったから、連絡しにくいって」


そうかと思うと、先日はからの電話。

「ター坊に電話してくれない?この前、言い争いしちゃったから
 連絡しにくくって」


・・・よ。二人と喧嘩してドウスル


キィキィ、わぁわぁ、喧嘩もしながら、少しずつ片づけは進み、
それこそとは血の繋がりなどまったくない旦那さまも、
Mさんから借りたトラックに、膨大な量のごみを積み込んで
処理場へと運んでくれています。
Mさんには、闘病中の父が名古屋の病院に通う時にも
高級ワゴン車を貸して頂いていました。
いつもいつも、ありがとうございます。

旦那さまは東京で暮らしていた頃、配送の仕事をしていたので、
細い道でもトラックを切り返し、切り返し入っていくし、
荷物を積み込む手際も、さすがプロだわ、と感心する。
自分に出来ないことが出来る人に憧れ、
自分の知らないことを知っている人に夢中になるタイプの私。
・・・それじゃ誰にでも惚れちゃうじゃん、というツッコミはナシよ。

荷崩れしないようにキッチリ積み込みをしてシートをかけ、
ロープをかけていく様子にホレボレしつつ、
いざ処理場へ、と助手席に乗り込んで、
「お疲れさま」旦那さまに煙草をさしだす。
車窓から振り返る「うこっけい農場」は、鶏舎も取り壊され、
畑には雑草が風に揺れているだけ。

「夏草や、だね」
走り出したトラックの中でつぶやく私。
「兵(つわもの)どもが夢のあと」

すると、煙草の煙をフッと出して、旦那さまがこう言った。

「ニワトリどもが夢のあと、だろ」

・・・なかなかウマイコトを言う。

夢の跡地には夏草ではなくて、クローバーの白い花が揺れていました。
13 : 38 : 30 | ミルクだけ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
邦訳がユルセナイ
2007 / 04 / 24 ( Tue )
毎年「GWはいかが過ごされますか」ナドトいう会話が交わされる頃は、
私のようなお仕事をしている者にとって怒濤デイズである、と
相場が決まっております。
なぜならば! はい、印刷屋さんがお休みになるからですね。
GW中に印刷ができなくなってしまうため、必然的に〆切が前倒しになるのです。

そんなわけでまたもや怒濤デイズの最中にある今、
コンナコトを言ってる場合じゃないとわかってはいるのですが、
あまりにショックに書かずにはいられません。

本日、打合せに行った帰り道、
お店の仕入れもついでに済ませていこうと酒屋さんに立ち寄った私。
店内にはBGMで「That’s the way」が流れていました。
KC&サンシャイン・バンドのこの曲を私は結構好きで、
我がa.m.fiveのアカペラカバー曲にも取り上げた事があります。
・・・あれ、でもなんかちょっと違う感じ。誰かのカバー曲かしら。
そう感じた次の瞬間、流れ始めたその歌詞は

♪だっから アハ・アハン 好っきーさ アハ・アハン

なんだとおぉぉぉぉぉ?だ、誰だ、お前はっ!
焼酎ボトルを手にしたまま、固まる私。

♪だっから アハ・アハン 好っきーさ アハ・アハン

あはんあはん、じゃねーよ!や、やめなさい、ただちにっ!!
そりゃ本物の歌詞も
「That’s the way, ah-huh, uh-huh, I like it, uh-huh, hu-huh」
だからね、間違ってるとは言わないよ。まあ、そんな感じだよ。
でも、ニホンゴにするとなんてダサイの!なぜ、あえて邦訳してしまうのっ!

子どもの頃から思っていたのだけれど、邦訳の歌詞は本気でダサイ
非常に間延びした感じになってしまうし、絶対どこかに無理がある。
日本語の歌詞をそのまま英訳してもメロディに乗せると間延びするので、
色々付け加えないと格好悪いのです。
日本の歌が一つの音符について一音ずつ言葉を乗せることが多いのに対し、
英語の歌だと単語ひとつ乗せたりするので、どうしてもそうなるんですね。
つまり絶対的に日本語の歌詞よりも英語の歌詞の方が情報量が多い。
だから英語の歌詞を直訳してそのまま歌おうとすると、
みんな吉田拓郎のように(?)なっちゃうと思う。

細かい説明は置いといても「無理があるよなー」っていうのは
きっと多くの人が感じているに違いないと思うのですね。
田中星児「ビューティフル・サンデー」なんて、まさにそうで、

♪今日は すばー すばー すばー 素晴らしいサーンデー

と歌うのを聴いた時は、幼心にすばー、はないよな、すばー、は」
ツッコミを入れたものです。
Bay City Rollers「I only wanna be with you」
ピンクレディーがカバーして

♪初めてあなたと会った時? 稲妻が走り抜けたわ?

とかなんとか歌ってるのを聴いた時も、Rollersファンとして
怒りのイナズマが走り抜けました。なんという暴挙!許すまじ!
とにかく誰なんだよぅ?、この
「♪だっから アハ・アハン 好っきーさ」と歌ってる奴は、と
家に戻ってからネットで調べてみたら・・・ありました。

「R&Bディスコ歌謡コレクション・ビクター編 恋のハッスルジェット」
1:ザッツ・ザ・ウェイ 田中星児


やはりお前だったかぁぁぁぁぁぁぁ!


だいたい「ディスコ歌謡」っていうジャンルが怪しいもんなぁ。
このCDの中には原たかし&バットマンズ「ジンギスカン」とか
バラクーダ「ヘイ!ミスター・ヨサク」、神楽坂かおる「ディスコ芸者」(なにっ?)
ナドも入っていて、ネットではマニアに注目されている一枚のようです。

マニア。そう、結構マニアがいるらしいんですね。
この無茶な邦訳カバー曲には。
伊集院光氏もラジオでこうした曲のリクエストを募ってたんですね。シラナカッタ。
例えばザ・カーナビーズがカバーした「オブラディ・オブラダ」の邦訳が
「♪太郎が花子を見初め好きになったとさ」
に始まる全編「とさ」系(最後に必ず「?とさ」が付く、日本むかし話調?)だったり、
ローレン・中野/和田弘とマヒナスターズが歌う「オリーブの首飾り」
「♪好きよあなた?」だったりとか、
いや、ちょっとこれは聴いてみたいと思う曲もチラホラ。濃いな、邦訳カバー!
中でも興味をそそられたのはHAKO(誰?)という人が歌った
「ワナ・ビー」(スパイス・ガールズ)の歌詞。

♪ヨー 電気が走るのビリビリとー 戦略練らなきゃジリジリとー

うわぁ、書いてて身の毛がよだち電気が走りました。
なんて恥ずかしいの!いやっ!うわっ!ちょっと聴きたい!
ちなみに伊集院氏が
「ここまで破壊的に歌うのはすごい!」とベタ誉め(?)するのは
大場久美子による
「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」でした。
(そんな曲情報が盛り沢山です。
伊集院光・日曜日の秘密基地Presents 永久保存版!おばかばーTOP15」)

もう、怒るより笑うしかない世界、なのかもしれないなぁ、これは。
23 : 28 : 46 | ブラック | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
禁じられた遊び
2007 / 04 / 23 ( Mon )
「火遊びなんだから、火傷するのは当たり前」

込み入った恋愛諸事情で悩んでいる人に
ズバリと言い放ったのお見事な名言。
火傷くらいは最初から覚悟しときなさい、ってことですね。
火遊び、と言い切られてしまうと、なんかミモフタモナイ感じですが、
まあ言われた人にもそれなりの心当たりはあったのでしょう。
自分が火傷するくらいならまだしも、周りを巻き込んでの類焼、
大火事、みたいなことになるとそれこそミモフタモナイ立場になるので、
一本クギを刺しといた、ってところのかもしれません。

まぁ恋愛ばかりはねぇ、渦中(火中?)にあると見えないコトが多いし、
なかなか客観的にもなれないものだし、
冷静に客観的になった時点でもう恋愛じゃないのだよなぁ、きっと。
渦中にあるうちが華、かぁ。何をシミジミ言うておる。

「火遊び」という言葉には、やはり本来の意味も含めて
「イケナイコト」の香りがします。

ひあそび【火遊び】
?(子ども等が)火をおもちゃにして遊ぶこと。
?その場限りの(遊び半分の)情事。  [新明解国語辞典]

実は子どもの頃、「火遊び」萌え♪だった私。
(もちろん?の方ね。まだちょっと情事には手が出なかった)
「火遊び」といっても、意味もなく火を付けて遊ぶのはワルイコトなので、
ごみを燃やすという大義名分をもってその欲望を満たしていたのですが、
火を付けるという行為や炎の魅力に加えて、
やはりどこかイケナイコトな感じが拍車をかけていたような気がします。

火を絶やしたくないがため、ごみがなくなってしまうと
「ごみじゃない物」(ちり紙交換のために取ってあった古新聞とか、
思い切ってちり紙そのものとか)にまで手を出していた、
私たち姉弟の背徳の儀式
それが終焉を迎えたのは、ある土曜日の午後のことでした。

どうやら前々から、ボス気取りの姉にあれこれ命令されることなく、
1人でこの儀式を執り行いたいと考えていたらしい
この日の昼下がり、計画を実行に移したのです。
軒下に置いてあった灯油の空き缶にごみを移し、
持ち出したマッチをすって火をつけた瞬間、
彼はきっと恍惚とした表情を浮かべていたに違いありません。

しかし、その歓びは一瞬のものでした。

の抜け駆けに気づかず、奥の部屋で読書にふけっていた私は
「うわあぁぁぁぁぁ」
という隣のおじさんの叫び声に驚いて玄関へと駆け出しました。
次の瞬間、私の目に飛びこんできた光景。
それは、燃えさかる自転車の後輪と、
狂ったようにペダルを手で回し続けているの姿でした。
灯油缶の中の炎にみとれていたが、
軒下に停めてあった自転車のタイヤに火が燃え移ったことに気づき、
とっさに思いついた消火手段の「ペダル手回し」は、
炎をさらに勢いづかせてしまったようです。
グルグル回りながら燃えさかるタイヤ。
「あれはまさに火の車だった」(by隣のおじさん)なかなかウマイコトを言う。

隣のおじさんにより、自転車もろともバケツの水をぶっかけられ、
濡れネズミになったは、幸運なことに火傷もなく、
おまけに「お手伝いをしようとして失敗した」のだから、という
おじさんの口添えも功を奏したのか、
(あれはけして「お手伝い」じゃない、と私は知っていましたが)
さほどの叱責も受けずに済みました。
しかし、それ以来親の監督の下でしか執り行えなくなった私たちの儀式は、
残念ながらイケナイ魅力を失っていったのでした。

炎は魅力的であると同時に、怖いもの。
それを教えてくれたのも子どもの頃の「火遊び」でした。
家庭でごみを燃やす習慣がなくなり、オール電化がもてはやされる昨今、
子ども達がマッチをする機会なんて、ほとんど無いに等しいのでしょうね。

16 : 48 : 41 | ミルクだけ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
Vintage
2007 / 04 / 19 ( Thu )
友達の誕生日プレゼントを選ぶ、というのは
なかなか心楽しいものだと思います。

その人のことを思い浮かべながら、あれこれと迷う。
どんなものが好きなのか。
どんなことを喜んでくれるのか。
美味しいもの。お洒落なもの。
実用的なもの。遊び心のあるもの。
ひとつひとつ手にとっては、贈り物を渡すその瞬間を想像します。

アクセサリーや洋服などをプレゼントした男子が、
「これを買ってくれるくらいなら、あっちの方が良かったのに」
ナドと女子にぶつくさ言われる、という構図はありがちで、
合理的に考えるならば前もって希望を聞いておくとか、
一緒に買いに行くという方法が無難ではありますが、
やはり私はプレゼントという行為にロマンを求めたい。

たとえばクリスマスの前になると、親はあの手この手を使って
子どもの欲しがっている物を聞き出そうとするし、
子どもはあくまで無邪気さを装いながらも細心の注意を払って、
親がヘンテコなおもちゃなんかを買わないように
自分の希望を伝えようとします。
サンタクロースという架空の存在の媒介によって成立する聖なる駆け引き。
(今また妖精が一人死にかけたかもしれない。
 あ、サンタクロースは妖精じゃないよね?)
プレゼントというロマンティックな儀式によって
リアルな欲望を満たそうとするなら、
それなりの努力は必要なのです。

あくまでロマンチストだった子どもの頃の私は、
みんなが持っていたリカちゃん人形が欲しかったのに
それではあまりにも赤裸々だわ、と遠慮して
「着せ替え人形が欲しいの」に言ってみたところ、
リカちゃんとは似ても似つかないモデル体型の、
やたらに長い手足と、どこかオリエンタルな切れ長の目を持つ、
「欧米か!」とツッコミたくなるような“タミーちゃん”
おもちゃのエンゼルの包みから出てきて泣きそうになりました。

体に比べて頭が大きく、目が異常に目立つリカちゃんよりも
にとってはタミーちゃんの方が
抜群にいい女に見えたのかもしれません。
いや、もしかしたら、みんなと同じものを欲しがるという
娘の愚かな願いを阻止しようとしたのでしょうか。
群れるな。常に疑問を持て。異端を恐れるな!

もともと「みんなが持ってるから」などと言おうものなら、
「みんなとは、誰と誰のことだい?」
「みんなが持ってると、お前も持ってなきゃいけないのか?」

とコトゴトク質問攻めに合うのが常だったし、
買ってもらうためにはそれがどんなに素晴らしくて、
どれほど私に必要なのかを説明しなくてはならないのだけれど、
説得を試みているうちにその物の価値観があやふやになり、
それほどまでに欲しいものだったかということも
疑問に思えてきてしまい、
それでも、どうしても、と意地になって買ってもらった物は
手にしたのもつかの間、の冷ややかな視線の前で輝きを失うのでした。

友達の家に遊びに行き、ついでにお買い物につきあって、
「おそろいにしなさいね」
キャラクター付きの筆箱を買ってもらった時などは、
そういうものに縁のなかった私としては
飛び上がるほど嬉しかったのだけれど、
に見つかった瞬間、友達の家へ連れて行かれ、
「うちの方針ですから」と冷たく言い放って
筆箱を返すの横でいたたまれない思いをしました。
おばさんに悪い、とべそをかく私に、
「返すことが悪いんじゃない。
 買ってもらったことが悪いんだ」

は言い、この事件に思いっきり懲りた私は、
ただただ実用的な筆箱を黙ってずっと使い続けたのでした。
象が踏んでも壊れない、という宣伝文句通り
その筆箱は古びても全然壊れてくれなかったし、
象に踏ませるチャンスもなかったからです。

物を選ぶことの基準のようなものを
は私に教えようとしていたのだ、と今は思うし、
「うん、それはいいね」のセンスにかなうものを
自分で選び取った時にはなぜか誇らしい気持ちになりました。
実際、は贈り物を選ぶのがとても上手だったし、
その贈り方も粋だったと思います。
とはいえ私に「物選び」の極意が備わったか、
というと、はなはだ疑問で、
幼い頃の反動によるリカちゃん的なものへの憧れと、
「父基準」の間で揺れ動いては、
時々突拍子もない買い物をしてしまうのですが。


リカコン&ファザコン。閑話休題。


友達へのプレゼント選びが楽しいのは、
お互いに負担にならない程度のもので、
だからといって適当に簡単に選ぶわけにはいかないところにあります。
「自分が貰って嬉しいもの」という基準はもちろんあるけれど、
あくまで相手は“自分”ではないので、そこが結構悩むところ。
私はプレゼント選びのもう一つの基準を、
「自分ではなかなか買えないもの」にしています。

たとえば「色」なら、
その人が自分で買うとしたら無難に黒だよな、
というところをあえて他の色を選ぶ。
もちろん、その人に似合いそうな色や
コーディネイトにはまりそうな色を選ぶのですが。
ほかにも、わざわざ持っていないようなもの、
たとえばチーズボードカッターとか、
茶漉しやティーバッグをちょっと載せておく受け皿とか、
自分ならまな板と包丁、その辺の小皿で代用してしまう物を
頂いたときは、なんだか優雅な気持ちになって嬉しかった。
そういう日常のちょっとした贅沢、とまではいかない品々は
キッチン用品文房具屋さんに結構多くて、
見て回っているだけで楽しくなります。

そして、まず自分ではなかなか買わない物の代表は
やっぱり「消え物」ですね。
食べる物や飲み物、花なんかもそう。
残るのは思い出だけっていうとこが贅沢です。

先日、お客様であり、とてもお世話になった方でもある
Iさんのお誕生日にどうしてもプレゼントしたくて
探し回ったのは、Iさんの生まれ年ワイン。1957年物
誕生日も迫ってきて、もう無理かな、みつからないかな、と
諦めかけた頃、やっとみつけたクロワゼ・バージュ
「♪Happy Birthday」の歌とともに手渡すと、
Iさんは照れくさそうに、でもとても嬉しそうに
「飲もう!」とひと言。
50年を経たワインをみんなでちょっと緊張しながら頂きました。


ちなみにボルドー赤のヴィンテージチャートによると、
1957年は「平年」並みの年。
ヴィンテージというのは、もちろん葡萄の収穫年のことですが、
その年の気候条件で葡萄の品質はまったく違い、
ワインの出来も大きく変わってくることはよく知られています。
地域別に20点満点(チャートによっては10点満点)で評価する
ヴィンテージチャートは「飲み頃の指標」であり、
良い年のワインほど熟成には時間がかかり、
あまり良くない年のワインは早くピークを迎えるため、
このチャートを参考にします。

たとえばグレートヴィンテージと呼ばれる1990年や2000年に
造られたワインは、ゆるやかな熟成カーブを描いて、
飲み頃までに少なくとも10年、20年の年月が必要だけれど、
あまり良くない年のワインなら、
若いうちに飲んでしまった方がいい。

味の好みは人それぞれで、
熟成前のガツンとした感じが好きな人もいれば、
枯れかけたくらいが好き、という人もいるので
一概には言えないのだけれど、
まあ、良くない年のワインが古くなっても意味はない、
ということですね。

さて。
ちなみに私の生まれ年のワインは、といえば。

「長いボルドーの歴史のなかでも
 悪名高いヴィンテージとの評判がある」


なんせ、1点も点数が入ってないのですよ!恐るべし。
あまりにも葡萄の出来が悪いので、
ワインを造らなかったところもあるのだとか。
そんな年に生まれてしまった私としては、
上記したコトバに打ちのめされております。

良くない年のワインが古くなっても意味はない。

・・・ええ、どうせ私もね、
飲み頃なんてとっくに過ぎてますけどね。

15 : 02 : 55 | お砂糖ひとつとミルク | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
初見についての・・・所見
2007 / 04 / 15 ( Sun )
「初見」で辞書をひくと、

?初めて見ること「楽譜をーで演奏する」
?初めて会うこと
              (広辞苑)

と書いてあります。新明解国語辞典でもほぼ同じ。
ちなみに私は「新解さん」の方が読み物としてお気に入りなので
家と店に一冊ずつ置いてあります。
もうずいぶん前ですが、父に勧められて
赤瀬川原平さんの「新解さんの謎」を読んで以来、
いつもはあえて調べたりしないような単語を引いて遊んでいます。

例えば「動物園」を引いてみると・・・

【広辞苑】
「各種の動物を集め飼育して一般の観覧に供する施設」

と、なっています。これに対して「新解さん」

【新明解国語辞典】
「捕らえてきた動物を、人工的環境と規制的な給餌により
 野生から遊離し、動く標本として都人士に見せる、
 啓蒙を兼ねた娯楽施設」

いやぁ「新解さん」の怒りが伝わってきますね。
「都人士」って言い方もなかなかオツですが。
大体、「動物」の解釈そのものが違っていて、

【広辞苑】
「一般には、植物と対置される、運動と感覚の機能を持つ
 生物群をいう。分類学的には動物界をいう」

【新明解国語辞典】
自由に運動し酸素を吸って生きる生物。
 他の動植物を栄養源としてとる」

・・・というわけなので、そりゃ「新解さん」としては怒ります。
「自由に」生きるべき動物を捕らえて、
「人工的環境と規制的な給餌により野生から遊離」するなんて
ナニゴトだ!

新明解国語辞典は単語の引用例も面白く、
例えば「ちょっと」だと、
「?平均水準を超えていて、無視は出来ない程度であることを
 あらわす」の引用に、
「ー「=かなり」夏目漱石に似ている」
というのがあって、笑えました。
誰なんだ、その「かなり夏目漱石似」なヤツは!


さて。
最初からいきなり脱線しましたが、
広辞苑も新明解国語辞典も「初見」といえば「楽譜」という
共通意識(?)を持っているようです。

実は、私は楽譜が読めないと言えないままピアノのレッスンへ通い、
目と耳で(目を皿のようにして先生の指を凝視して)曲を覚えた人で、
ブラスバンドでクラリネットを吹いてる時も、
正直に言えばホトンドだったというフトドキ者
そのおかげで耳は鍛えられていたようで、後から
「えぇ?読めてなかったの?」とびっくりされましたが、
楽譜をちゃんと読めるようになったのは高校生以降です。
でも、楽譜が読めるのと指が動くのは別問題なので、
初見でピアノを弾くなんて半音が3つ以上あるともう無理。

しかし、楽譜ではなく原稿ならば、結構「初見」は得意な方。
これは研究生時代に先生や先輩達が口を酸っぱくして
「渡された台本をすぐに音読できなきゃだめだ」、
「初見の音読は、新聞で練習しなさい」
と言ってくれたおかげでもあります。
もともと本を読む方の「書見」は好きだったので、
初めからあまり苦労しなかったのかも。
両親が学生時代に買ったような本を片っ端から読んでいたので
旧カナや旧漢字もわりと平気。
書くのは当用漢字でもあやふやになっちゃうんですが。


さてさて。
今日はこの地域で市会議員の選挙戦が始まって、
私もウグイス嬢なるものに駆り出されて参りました。

【ウグイス嬢】
きれいな声で場内のアナウンスをしたり、
バスのガイドをしたりする若い女性の異称

と、なっているので、私は「新解さん」には
ウグイス嬢とは認めてもらえないみたいですが。

午前中に街宣車に乗り込んだ私は、まだほとんど寝起き。
明け方くらいまでアカペラ曲のアレンジに励んでいたので
頭はぼぉぉぉっとしているし、声もかすれ気味だったけれど、
「頑張らなくては!」とマイクを握り、
初見の原稿を読み始めました。
寝起きの声にしてはナカナカ通りが良いではないか。
原稿はいくつかあるので、読みながら場所に合わせて
組み替えたり、短縮したり、つなげたりと
いろいろバリエーションをきかせてみました。
何度かウグイスはやったことがあるので、すぐに慣れて
ちょっと余裕が出てきた頃。

前の方から対立候補の街宣車がやってくるのが見えたので
「○○候補のご健闘をお祈りします!」
と元気よく声をあげたら、同乗していた人々全員に
「コンダさんだよ!」
と突っ込まれてしまいました。思わず、
「え??ごめんなさぁ?い!」
と言った声も、しっかりマイクが拾っていて・・・。



だって、近田、って書いてあったら普通、ねぇ・・・。
「初見」の落とし穴にはまってしまいました。
明日は選挙ポスターをしっかり見てから出掛けます。

16 : 07 : 32 | ブラック | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
新人レッスン、始まる
2007 / 04 / 12 ( Thu )
レッスンのクラスに4月期の研究生が加わりました。
(うちの事務所は春と秋の2回、研究生を募集する)
小学生くらいになると、入所にもある程度本人の意思が尊重されるし、
それなりにレッスンを受けようという姿勢が見られるのだけれど、
大変なのが幼稚部(3歳から6歳)クラス。
こちらはほとんどご家族(大体お母さん)の意志で、
わけのわからないままオーディションを受けにやってきます。
まるっきり適性のない子の入所はありえないのですが、
当人たちは「なぜここに来たのか」や「なぜお母さんは一緒にいてくれないのか」も
ほぼ理解してないし、ほとんど遊びに来ている気分。
だから、つまらなかったら帰りたい、楽しくなければやりたくない。
「なんでこんなことしなきゃいけないの?」と思わせてしまったら終わりなので、
興味をそらさせないように、楽しめるように、
遊びのなかにレッスンの要素を組み込んで、
レッスンに来るのが楽しいな、と思うまでのひと月くらいが勝負どころ。
この期間を私はヒソカに「サービス月間」と呼んでおります。

1人1人の感性や才能を育てることは、仕事をするうえでの義務。
それは愛情を注ぐ、とか、可愛がるというのとは別の次元です。
結果を出すのが仕事なので、
「サービス月間」が終われば「遊びに来てるんじゃないわよ」と叱るし、
泣こうがわめこうがすべきことはさせるという姿勢をつらぬく。
もっともそれが出来るのは、子どもとの間の信頼関係にかかってくるので
「サービス月間」は子ども達にとっても
「私」の「おためし期間」といえます。

先日の幼稚部レッスンに参加した新人さんは、
YuくんYoくんMちゃんの3人。もう1人は風邪でお休み。
Mちゃんは目のクリクリしたお人形みたいな3歳の女の子で、
小学クラスにいるお姉ちゃんにそっくり。お姉ちゃんも幼稚部からの生徒。

Yuくんはハキハキして明るく、お行儀も良い男の子。
「あ、の付く物、なーんだ?」 Yu「アイロン!」
「え、の付く物、なーんだ?」 Yu「エプロン!」
「お、の付く物、なーんだ?」 Yu「おこげごはん!」
将来はいい主夫になりそうな4歳児。

そして、今回の注目株は3歳のYoくん
一瞬たりともジッとしてない。スタジオを駆け回り床に転がる。
舌っ足らずな高い声で、ずーっと好きなことを喋り続けています。
記憶力はいいし、頭の良い子。ルックスも可愛いんだけど、
もう少し落ち着かないと仕事は無理かな、等と観察する私。

子役、というのは演技力やルックスももちろんなのだけれど、
どれだけ集中力を保てるか、騒がずにいられるか、
お母さんから離れてもちゃんと演技が出来るか、
ナドナドのことが求められます。
撮影が長時間に及ぶこともあるし、周囲は見知らぬ大人だらけ。
舞台の仕事ともなれば、大劇場の客席を埋め尽くすお客さまの前で
堂々と演技をしなければいけないし、ソデで騒いだり泣いたりするのもNG。
子役であっても、仕事はシビアなものなのだよ。

こっちがそんなことを考えているのも知らず、1人語りを繰り広げる彼。
その横に笑顔で座っているIちゃんがモノスゴクお姉さんに見える。
つい昨日までお母さんの首にしがみついて泣いてたのになぁ。
発表会でも立派にセリフをこなしたし、すごい成長。
愛情を注ぐ、とか、可愛がるのとは別次元、と書いたけれど、
子ども達の成長がとても嬉しく、感動するものであることは
紛れもない事実だし、この仕事の醍醐味っていうか魅力だと思います。

この仕事をしていると「子ども好きなんですね」と言われることが多いけれど、
私は世に言う「子ども好き」ではないかもしれない、と実は思っている。
例えば私はが好きだけれど、
それは私の愛したマシュウやトフィーなどの「うち猫」や、
友達の家の「知り猫」に限ってであって、
猫ならなんでもかんでも好き、ってわけではないし、怖い生き物だと思うこともある。
(実際TVの仕事で、興奮し殺気立ってフーフーいってる猫を
膝に乗せなきゃいけなかった時は「猫なんて嫌いだ!」と心で叫んだ)
基本的に人間も好きだけれど、なかには苦手な人やいけ好かない人もいる。
だから、子どもにそれぞれ個性がある以上、ひとまとめにして「好き」と言うのは
なんだか傲慢な気がしてしまう。

だいたい「子どもが好き」という場合、
往々にして「子どもとはこういうものだ」っていう先入観があるように思う。
先入観、イコール大人が期待する「子どもらしさ」
実はそういう「子どもらしい」子どもって少ないんじゃないかなぁ。
私は子どもらしい子どもじゃなかったし、ヒネてたし、素直じゃなくてかわいくなかった。
大人の自分に応えられない、子どもらしくなく無邪気でもない自分を
よくわかっていたので、苦手な大人が多くて緊張した。
がっかりされるくらいなら初めから期待して欲しくないので、
ますますヒネた態度をとってしまった自分をつくづく不器用だったと今は思うし、
ほんとはかわいがられたかったのかもしれないなぁ、とフビンになる。

子どもは結構大人をよく見ているし、敏感に空気を察知する。
そのうえで、うまく立ち回れるかどうかはまた別の話なのだけれど。
例えばオーディションに落ち続けると、元気のなくなっていく子がいる。
落ちたという事実よりも、お母さんのショックや苛立ちを感じとることの方が、
その子にとってはしんどかったりするものだ。反対に、
「うちの子はマイペースで、落ちまくってもなーんにも感じないみたい」
お母さんがぼやくような子もいるのけれど、そんな子が
「オーディションに受かったよ!」と報告してくる時の笑顔を見れば、
本当はどれだけ合格したい、お母さんを喜ばせたい、と
思っていたかが伝わってきて、なんてケナゲなんだ、と思ってしまう。

子どもは大人に気をつかうし、大人に対してずいぶん寛容で、
「子どもだから仕方がない」と大人が思うのと同じくらい、
「大人だから仕方がない」と諦めてくれているフシがある。
もちろん個人差はあるのだけれど。

うちに遊びに来ていたHちゃん(7歳)は、どちらかといえば
「子どもらしい」タイプの天真爛漫さを持ち合わせていて、
のびのび育った子に多いように、良い意味でマイペースで人がいい。
急なお泊まりも楽しそうで、「もっとここにいたいなぁ」なんて言うので
預かった方としても役目は果たせたな、とほっとした。
そんなHちゃんがピアノを弾くために使った椅子を、起き抜けの旦那さま
「片づけて」と私が頼み、旦那さまが無愛想に「おぅ」と椅子を持ち上げた時、
彼女は心配そうに「面倒?」と聞いた。
旦那さまと顔を見合わせて吹き出すと、困ったように照れ笑いした彼女を
「そうだそうだ、めんどくさそうだったよね?!」と私は笑って抱きしめた。


さて、幼稚部レッスンに参加した新人・Yoくんについて特筆すべきことが。
「あ、の付く物なーんだ」と訊きながら、
子ども達が次々に言う物の名前を黒板に書き付けていた時のこと。
例によって1人語りの真っ最中だったYoくん
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」としきりに呼んでいる。
隣のIちゃんSちゃんに話しかけているんだな、と思っていた私は、
次の瞬間、ハタ!と思い当たって振り向いた。
「ねえ、お姉ちゃん、あのねぇ」
彼のコトバはまさしく私に向けて発せられている。
お姉ちゃん。おお、この甘美な響き。どうぞ、もっと呼んで。
隣のSちゃん「せんせい、だよ?」と言いかけるのを遮って、
私は満面の笑みでYoくんに甘く語りかけた。「な・あ・に?」



もしかしたら、これもYoくん気遣いだったのかもしれないが。

12 : 29 : 13 | お砂糖ひとつとミルク | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
(続き)再びベビーシッター
2007 / 04 / 06 ( Fri )
昨日、始業式を終えて再びわが家に遊びに来ていた
Hちゃんは小学校2年生。

「今度は何組になったの?」
「え?とねぇ、2年ど組」
「ど?!」
「ど!!」
「どぉ?」
「ど、だよ」
「Hちゃんの学校って、クラスの名前がドレミ?」
「違うよぅ!クラスの名前は、い、ど、は!」
「・・・イロハか」
「さっきからそう言ってるのにぃ?」

怒られながらHちゃんにティッシュを渡し、鼻をかむよう促す私。
でも、イロハっていうのも随分古いクラス名だな。
まあ、私の小学校も雪組・月組・花組・空組という
タカラヅカみたいなクラス名だったけど。

「イ・ロ・ハなんて、なんだか昔っぽいね?」
「え??どうして??」
「だってイロハっていうのはさぁ・・・」

言いかけて、どう説明したものかと考えながら、
「ほら、今は『あいうえお かきくけこ』って覚えるでしょ?
 昔は『いろはにほへと ちりぬるを』って覚えたんだって。
 イロハは『いろはにほへと』の、最初に出てくる3つだから
 1、2、3の代わりにしたんだね」

と話すと、Hちゃんは感心したように唸った。
「ふうぅぅぅん」
すごいな、この説明で理解できるのか。

「全然知らなかった?。『いどはにポテト』かぁ」

やっぱり理解できてなかったらしい。


さて、昨日の続きである。

Hちゃんと一緒にうちへ遊びに来ることを
お婆ちゃんから承認されたAちゃん
実は彼女がうちに来るのは初めてではない。
それは数日前、わが家でお花見の会を開いた時のこと。
家族で参加した友達の子ども達が
連れだって“三本桜”公園へ遊びに出掛けたのだが、
夕方になって子ども達を呼び戻したら
なぜかAちゃんもくっついてきたのだ。

「小さい子が1人増えてるけど」
という声に振り返ると、一緒になってゲームをしていたAちゃん
パッとこちらを向き、「こんにちはー」と礼儀正しく挨拶した。
大人達も思わず「こんにちはー」と挨拶する。

「でも、どこの子?勝手に連れて来ちゃだめじゃない」
ママに注意され、お姉ちゃん格のYちゃん「だって?」
と口ごもると、Aちゃん「ここの一階です」と答える。
「お名前は?」「Aです」
「いくつ?」 「6歳です」
「じゃあ1年生かな」今度、1年生になります」
ハキハキ答えるAちゃんに、随分しっかりしてる子だねぇ、と
大人達が感心の声を漏らす。
でも、「家の人にここに来ることは言ったの?」という質問には
「すぐ帰るから大丈夫です!」と首を振ったので、
それはいけないからちゃんと断っておいで、と
子ども達と一緒に一階へ向かわせた。
その時はすぐに戻ってきたのだけれど、
お母さんにクギを刺されていたのか、少しゲームをすると、
再び彼女は風のごとく去っていったのだった。(回想終わり)


そんなわけで2度目の来訪となるAちゃんは、
前回に比べてずいぶんリラックスしていた。
お婆ちゃんが快く承知してくれたのでホッとしたのか、
前回のように大人が大勢いないので緊張しなかったのか。
パタパタと廊下を駆けつつはしゃぐ少女たち。
子どもが1人なのと2人いるのとでは声の大きさが格段に違う。
旦那さまがまだお昼寝から起きてこないので、
少し静まって頂こう、と手を洗わせておやつにする。

一緒に行ったコンビニでHちゃんが選んだ
マーブルチョコじゃがりこを出すと、Hちゃんは惜しげもなく
「どっちがいい?好きな方食べていいよ」
と言う。えらい。1つ上なだけなのに、お姉ちゃんだなぁ。
「う?ん・・・こっち!」
まずじゃがりこを手に取ったAちゃん
「いいよ、じゃあ私、マーブルチョコにする」
Hちゃんが言うと、再びAちゃん
「あっ、やっぱりこっち!」
と、じゃがりこを返してマーブルチョコを取る。
「うん、いいよ」
「う?ん・・・」
この辺りで少し「あれれ?」と思ったのだが、
「一緒に食べればいいじゃないの」とお皿に入れて
テーブルに置くと、二人は仲良く食べ始めた。

お昼を食べ損ねていた私は、
そうだ、プチおむすびがあったんだった、と袋から取り出す。
「Hちゃん、プチおむすび、どうする?私、ひとつ食べるよ」
「あ、そうか。私のおむすびあったんだよね」
その瞬間、パッと立ち上がって「食べる!」と言ったのは
Aちゃんであった。
「え・・・?」「私が食べる!」
笑顔で手を伸ばしてくるAちゃん
「え・・・でも、」ちょっと戸惑ってしまう私。
昨日のブログにも書いたけれど、
Hちゃんは2年生でクラスでも大きい方。
それに対してAちゃんは、1年生でも小柄な方だと思う。
「Aちゃん、もうすぐお母さんが帰ってきたらご飯でしょう?
 おやつも食べて、おむすびも食べたらご飯食べられなくなるよ」

「ううん、大丈夫!」
「Hちゃんは、ママのお迎えが遅いかもしれないし、
 そしたらお腹すいちゃうし」

「でも私、そのおむすび食べてみたい!」

ううう。なんだ、この押しの強さは。
でも、けしてAちゃんはワガママを通そうと地団駄踏んで
こう言っているわけではない。
あくまで笑顔で、当然の要求のように手を差し伸べている。
でも、でも、なんだかそれにすごく抵抗を感じてしまうのはナゼ
それにHちゃんは、実はご飯が大好きなのだ。
お昼ごはんも一粒残さずきれいに食べて、
残りはプチおむすびにしようね、と言ったら
「わーい、おむすび、だーい好き!」と飛び跳ねていたのだ。
死守すべし。プチおむすび。

「で、でもねっ、これは、Hちゃんのおむすびだから・・・」
意を決して私が言いかけた瞬間、
不意に「いいよぉ」Hちゃんが言った。

「Aちゃん、食べていいよ、おむすび」
「ありがとう!いただきまーす」

Aちゃんの手が、プチおむすびを掴んでいく。
ああ、許してしまうのか、Hちゃん。大好きなおむすびなのに。
なんて欲がないんだ。なんて人がいいんだ。
しかし、Hちゃんの人の良さはそこに留まらなかった。
彼女は続けてこう言ったのだ。

「アニーさんもいいよぉ、おむすび食べて。私、いいから」

ち、違うんだ、Hちゃん
それじゃ私が自分のおむすび惜しさに頑張ってたみたいじゃないの。
ご飯なんか、もうジャーに炊けているのよ。
そうじゃなくて、アニーさんは、アニーさんはねぇ・・・。

なんだかクラクラしてきた私が、
「私はいいのよ。Hちゃん、食べて」
と、おむすびを持っていくとHちゃんは嬉しそうにニッコリした。

その後も私は、二人がピアノを弾いたり、
Hちゃんのサインペンセットで絵を描いたりするのを
ずっと見ていたのだけれど、
圧倒的にモノゴトはAちゃんペースで進んでいった。
Hちゃんがピアノをちょっと弾くと、
Aちゃんが笑顔で「代わって、代わって!」と言う。
絵を描く時も、ピンクやオレンジをずっと使っているのはAちゃん
でもHちゃんは、さして不満そうでも悲しそうでもないのだ。
それどころか「このピンク、(色が)つかないよ」
Aちゃんに言われると、
「ごめんね、つかないのも一緒に入れちゃってて」
なんて謝ったりしている。なんでだよぅ。
おまけに「ママのお迎えが遅いといいなぁ」とか
「今日はここに置いてってくれればいいのになぁ」とか言いつつ、
もっとAちゃんと遊びたい気満々なのだ。なぜなんだよぅ。

二人を見ていて思うに、この違いは
両親から受け継いだ気質ももちろんあるのだろうけれど、
環境によるものがたぶん大きいのではないだろうか。
一人っ子のHちゃんに対し、
Aちゃんは三人兄妹の真ん中。
兄妹社会のなかで揉まれたAちゃんは要領の良さや
いざという時は強く押し、引くべき時はサッと引くという
駆け引きの術を磨いてきたに違いない。
与えられこそすれ、奪ったり奪われたり、
何かを求めて競い合うという経験の少ないHちゃんには、
Aちゃんのはしっこさや回転の速さも
魅力的に映るのかもしれない。

かくいう私は三人姉弟の長女で、
一人っ子のHちゃんほど優雅に構えてはいられなかったけれど、
一番上の子らしく甘え下手で要領が悪く、駆け引きも苦手という
気質を未だに引きずっていて、
Aちゃんタイプの人は半分羨ましく、半分怖れてしまう存在だ。

でもさぁ、Hちゃん
おむすびやサインペンならいいけどさぁ、
Aちゃん恋のライバルになったら大変よぉ、きっと、と
今から心配してもしょうがないことを考えているうちに、
Hちゃんのママからお迎えコールが入った。

「え?、まだ遊びたいのになぁ」 「もうちょっとだけ?」
とゴネつつ、お絵かきを続けようとする少女たちを、
「また今度ね」と急かしながら、片づけを始めた頃、
「遅くなってごめんなさいね?」Hちゃんママ登場。
やっと起き出してきた旦那さまも、寝室から現れた。
Hちゃんのおもちゃや本、お絵かきセットなどを
カバンに入れていると、「あら?これは・・・」
Hちゃんママが手を止めた。
そこにあったのは赤いハートの留め具が付いた
ピンクのプラスチックケースで、
中にお菓子を入れて、私がHちゃんにあげた物だ。

「これね、誰か小さい子が遊びに来た時にあげたら、って
 うちの母がくれた物なの。Hちゃんにプレゼント」

「お世話になって、こんなものまでもらっちゃったら悪いわ」

遠慮するHちゃんママに、
「ううん、Hちゃんにもらって欲しいんだから」
私が言いかけた途端、例の笑顔でAちゃんが手を伸ばした。
「私がもらう?!ありがとう!」

えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?

寝起きの旦那さまも、ギョッとしている。
旦那さま=二人兄弟の長男。
ジュースが買いたくても「お小遣いちょうだい」と
親に言うこともできなかったという彼が、
呆気にとられてAちゃんを見ている。
わかるよね?あなたなら、私の気持ち、わかるよね?

「で、でも、これは、Hちゃんに・・・」

私の声もむなしく、Hちゃんから発される「いいよぉ」の声。
Hちゃんママまで、
「いいのよ、Hちゃんだけもらっちゃいけないもんね」
なんて言っている。
いいんだよぅ!だってHちゃんにあげたんだもん!
あなた達はマザー・テレサ親娘なの?
それとも私の心が狭すぎるの?
こっちがジタバタして、駄々をこねたい気持ちになる。

ハートの付いた、可愛いピンクのケースは、
すでに満面の笑みを浮かべたAちゃんにしっかり抱えられている。

「・・・同じのが、二つあれば良かったね」

力つきてつぶやく私の耳に、

「またアニーさんちに来るから遊んでね」
「うん、いいよ!またここで遊ぼうね」

と約束する少女達の声が聞こえた。
こうなったらどこまでHちゃんAちゃんを許すのか、
見届けるしかないかもしれない。



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再びベビーシッター
2007 / 04 / 05 ( Thu )
先日わが家へお泊まりに来た お子ちゃま(♀7歳・Hちゃん)が
今日も始業式を終えた後で、わが家をご来訪。
お昼ごはんを食べさせ、ちょっとピアノの練習を見た後は、
例によってわが家の前の“三本桜”公園へ。
残りご飯で作ったプチおむすびとおやつを持って、
公園で遊びながらお花見でもしようかな、という計画。

この地域の小学校は今日が始業式のところが多いためか、
先日とは違い、公園は子ども達の声で賑やか。
ちょうどうちのマンションの一階に住む女の子(6歳・Aちゃん)が
滑り台で遊んでいるのを発見したので、
「一緒に遊んでおいでよ!」Hちゃんをそそのかす。
先日張り切りすぎて筋肉痛になったので、
その轍を踏まないための賢い作戦。

最初のうちこそちょっと恥ずかしそうだったHちゃんもすぐにうち解け、
二人で公園中を駈け回ってはいろんな遊具をハシゴしている。
いいね!やっぱり子どもは子どもどうし!!
大いに遊んでくれたまえ、と今まさに満開を迎え、
この週末にはハラハラと散りゆく運命の三本桜の根元に腰を下ろし、
おもむろに「知恵の輪」を取り出す大人の女。
この「知恵の輪」が結構難解なやつなのである。

私はわりと「知恵の輪」は得意な体質のようだ。
体質、と言うのは、本当は知恵の輪なのだから
頭を使って外す物だと思うのだけれど、
私の場合、適当にいじくっているうちに外れている場合が多い。
じーっと見つめて、「ここがこうなって、ああなって・・・」
やっているうちは外れないのに、ふと誰かの会話に気を取られたりして
わはは、なんて笑った拍子に外れている。
みんなが全然外せなくてギブアップした物が
「あれ?取れた」みたいに外せるので
「どうやったの?」と訊かれるけれど、
「笑った拍子に」と言うしかない。
じゃあ試しにもう一回、と元に戻してまた外し始めると、
やはりなかなか出来なくて
「さっきのはマグレだわ、あはは」と笑うとまた外れる。なぜだ。
とにかく、笑えば外れるんだわ、とタカをくくって人から借りた
この超難解な知恵の輪に笑いながら挑戦したら無理だった。
の下で笑う馬鹿。いかにも春らしい風景である。

とはいえ、6歳と7歳の可愛らしい女の子二人が
いつの間にかさらわれたりしてしまったら大変なので、
知恵の輪をカチャカチャさせつつも、常に視線は二人の姿を追って
公園内をさまよっている。怪しい人が近づいてきたりしたら、
すぐさま二人の元へダッシュしなければ。
キョロキョロ、カチャカチャ、わっはっは。
どうやらここで一番怪しいのは私だ。

そろそろ16時になろうという時間になったので、
私はHちゃん「そろそろ戻るわよ」と声をかけた。
「え?、もう??なんで??」
「お布団をよせなきゃいけないし、そろそろ旦那さまも起きてくるし。
 ここでおやつ食べられなかったから、うちへ戻って
 手を洗っておやつ食べよう」

「うん!じゃあねAちゃん、また遊ぼうね」
「え?、もう帰っちゃうの?」
Aちゃんがちょっぴり名残惜しそうにする。と、Hちゃんが彼女を誘った。

「じゃあさ、Aちゃんがアニーさんとこへ遊びに来ればいいじゃん」
「でも、お母さんがだめっていうと思うなぁ」
「ちょっとだけならいいじゃん。ねえ、行こうよ!」
「どうしようかなぁ。う?ん、どうしようかなぁ」
「いいよ!来ればいいよ!」
「うん。じゃあ、ちょっとだけ行く!」

そうか。来るのか。いいよ、一応私んちだけどね。

「そうする?それじゃ、Aちゃんちに寄って
 お母さんに訊いてから行こうね」

と、大人な判断をする私。
Aちゃん宅から出てきたのは、お母さんの留守を預かっていたお婆ちゃんで、
「まあまあ、それじゃお願いしますね」
と快く承知してくれた。
「良かった、お婆ちゃんがいて。お母さんなら絶対ダメって言ったよ。
 お婆ちゃん、優しいからだーい好き!」

はしゃぎながら階段を駆け上っていくAちゃんHちゃん

・・・が、実はこのAちゃん。なかなかのツワモノだったのである。


(次回に続く)

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公園デビュゥ
2007 / 04 / 02 ( Mon )
お友達のところの お子ちゃま(♀7歳)が
昨晩からお泊まりに来ました。

1人で泊まるのは心細くないかな、と
少し心配だったのですが、
「私、幼稚園でもお泊まりしたよぅ♪」
と、ご本人は至って平気そう。
明日、晴れていたらうちの前の公園で遊ぼうね、と
約束したら大ハリキリで、巨大なテルテル坊主を作っていました。

そして今朝。
「晴れたよぉ!」という声で起こされて外を見ると、
ピカピカの青空ではないけれど、雨は降りそうになかったので、
朝ご飯を食べさせ、お洗濯物を干した後、
公園へお出かけしました。
お子ちゃま連れで公園。私の生活ではめったにないシチュエーション。
ちょうど“三本桜”が満開で、お子ちゃまも大はしゃぎです。

sakura


満開の桜の下を歩いた後は、公園の遊具で遊んだのですが、
いや、もう、小学校くらいの子どもちゃんと
真剣に遊ぶというのは非常に体力勝負なのですね!
うちの前の公園には、子ども用の遊具の他に、
大人の健康づくりに役立つような
懸垂とか腹筋とか腕立て伏せとかのできる
トレーニング遊具(?)みたいなものもあって
とりあえずそれを全種類試すのにおつきあい。

お子ちゃまの方は、トレーニングの目的を無視して
何にでもよじ登っていってしまうので、
時々ズルッと足を滑らせるたびに下から見ていてハラハラドキドキ
クラスの中でも大きい方、というだけあって
私のTシャツやトレーナーも軽く袖を折るくらいで
着られてしまう彼女が落っこちてきたら、
ハタシテ受け止められるかどうか疑問

私の心配をよそに「次はこっち!」「これ一緒にやろう!」
公園中を飛び回るお子ちゃまのパワーは尽きることがありません。
最後はいろんな高さのブロックが並んでいる所で、
両端から「ヨーイドン!」でスタートし、出会い頭にジャンケン、
負けた方はまた端に戻って再スタート、という
ジャンケンゲームをしました。
私たちの勝負を笑いながら見ていた
親子連れ(4歳くらいの男の子とお母さん)も、
私たちの後に同じゲームを始めましたが、
お母さんはすんなり負けてあげていました。
真剣に勝負しすぎか、私。結構ヘロヘロなんですけど。

そうだ、うちへ戻ってジブリのアニメを観よう!と提案すると、
お子ちゃま「わぁい!アニメ観る!」とノってきたのですが、
リビングでおやつを食べながら
「風の谷のナウシカ」を見始めて15分後、
彼女はこう言い放ちました。

「なんだかもう観たくなくなって来ちゃった。
 ねえ、公園に行こうよ?」


いややややや。まだ15分だぜ、ベイビィ。
それに、もう相当筋肉がつらいぜ。
行こうよ、行こうよ、と手を引っ張られつつも、

「私、ナウシカ観たい!すっごく観たい!」

必死でテレビにかじりついた私なのでした。
たぶん明日は筋肉痛




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